≪角館武家屋敷と平泉中尊寺≫

     平成25年4月21日(日)〜4月22日(月)


〈あらすじ〉

≪角館と平泉の旅≫
平成25年4月21日(日)〜22日(月)
今回の旅は愛車プリウスにて
旅仲間:幸ちゃん 香ちゃん 建ちゃん
<当初の計画>
 4/21は、角館の武家屋敷と桜
  そして、雪がなければ乳頭温泉
  そして、時間があれば小岩井農場、花巻の温泉泊
 4/22は、世界遺産平泉
  そして、被災地石巻
  そして、桜が咲いていれば三春滝桜

このところ、暑かったり寒かったり、地域差もあり、天候不順が続く。

<一日目(4/21)の予定を変更>
  まず、雪の影響が出る前に三春滝桜へ
  (昨日のインターネットの情報で、まだ桜が満開とのこと)
  そして、角館(桜はまだつぼみの状態)
  乳頭温泉は、雪によりノーマルタイヤでは無理
  早めに、花巻の温泉旅館へ
   湯の杜「ホテル志戸平」


≪旅日記≫

+ 4月21日(日)

01:10、建ちゃん家を出る。
今日の天気予報は、
午前中は雪、午後は曇りから晴れ、気温は低く冬に戻った感じ。
無事に着けるやら心配。

       

         <写真:秋田自動車道>

どんよりした真っ暗な中を三人で横浜を出発。首都高速から東北自動車道へ。
最初は建ちゃんの運転、佐野SAで香ちゃんに変わる。
気温が低く3℃、那須の山に差し掛かったころ、とうとう降り出す。みぞれから雪。
(高速道路は80q規制)
福島県に入った時には、本格的な雪になる。
気温は0℃(今日の午前中は0℃〜2℃ 午後は2℃〜4℃)寒い。
6:00頃、郡山で三春に行くか悩むが、あまりの雪で三春滝桜を見るのを断念する。

途中のSAで交通状況を見ると、全体的に雪が酷いが特に宮城県が酷いらしい。
(50q規制に変わる)
何とかいけるところまで進む事に、香ちゃんの運転の上手さで何とか宮城県の古川あたりまで来た時、ラジオの交通情報で、西那須野と白河の間が上下線とも通行止めになったと聞く。
上下線とも、車数台の玉突き事故が発生したらしい。我々も、2時間後に出発していたら巻き込まれていた。
これを聞くと、変な話であるがラッキーである。

8:00頃、長者原SAで軽い朝食を取る。
香ちゃんが寝むそうなので、運転を建ちゃんに変わる。
幸ちゃんは、寝てなく酒も入っている少しでも休むしかない。香ちゃんは、いろいろあって寝むれなかったみたい。
建ちゃんは、かろうじて2時間程寝ていた。東北自動車道から秋田自動車道へ。
(70q規制に変わる)
岩手県から秋田県へ入るあたりは、みぞれが降り続いているが、廻りは沢山の雪がいまだに残っている。
大曲インターで降り、10:00頃角館に到着。外は雨、気温は2℃、とにかく寒い。

角館、表町上丁にある臨時駐車場(500円)に車を停める。
10人程いる管理員の一番お年を召した方(70歳位)が、プリウスによってきて、何かを差し出しながら「おぉ」と話す、「おいくらですか」「500円」と、ぶっきらぼうに話す。
何とも異様な感じを受けるし、もっと若い人が沢山いるのに、「何故このおじさんなの」と思う。
三人は、きょとんとしながら笑うしかない。そんなおじさんから二人は傘を借りる。
(この後、小雨ではありますが、今日は雨のやむことはありませんでした。)

  <写真左:石黒家入口  写真中:石黒家内部  写真右:かぶと>

角館の最初は、武家屋敷「石黒家」へ。
「石黒家」(仙北市指定文化財)入場料300円
 *佐竹北家の家臣で財用役や勘定役を担当した家柄です
  茅葺き屋根の母屋とのぞき窓がついた黒板塀 正玄関と
  脇玄関を備えた武家の高い格式を示しながら簡素なたたずまいとなっている
  現存する角館の武家屋敷の中で格式が一番高い家柄の屋敷です
中に入ると、当時のまま残されているものを、丁寧に説明を受ける。
兜や五月人形が飾られ、囲炉裏があり、欄間があり、立派な蔵があり、家財があり、タイムスリップした感じである。

次に「青柳家」入ろうとしたら団体さんが入り混んでいるので、道路の反対側にある茶店で甘酒を一杯。何せ寒いです。
「青柳家」は帰りによることとし、「松本家」(無料)の外回りを見学。こじんまりとしていて、イタヤ細工の実演をしている女性がいる。

この武家屋敷一帯には、まだ咲いていない枝垂桜が沢山あり、それぞれナンバリングがされている(指定登録107)。
角館には、樹齢300年の古木から若木まで約200本(内162本が天然記念物)の枝垂桜がある。
<角館の枝垂桜>
 *1664年京都の公家三条西家・実号の娘が角館佐竹二代目に嫁いできました
  その際 嫁入り道 具の中に枝垂桜の苗が3本入っていたと言われています
  「京」をしのぶ女の物語を語り継いでいます

少し歩き、桧木内川(ヒノキナイガワ)に架かる横町橋から、まだ咲いていない2qにもおよぶ桜並木の一角を桜が咲いている事を想像しながら見る。
(昭和9年に植えられた、桧木内川堤のソメイヨシノ)
建ちゃん、ガッカリ(10年程前のGWに来た時には葉桜でした)。またまた、咲いている角館の桜を見る事が出来ませんでした。

  

  <写真左:武家屋敷周辺  写真右:桜が咲いていない桧木内川堤>

<角館>
 *深い木立と重厚な屋敷構えで知られている角館町は
  元和6年(1620年)角館地方を領していた芦名義勝によって造られたものです
  三方を山で囲まれ 南の玉川筋によって仙北平野に開いている地形は
  城下町を形成するため もっとも適している場所であったのです
 *町の中央部 役場のある広場は"火除け"と呼ばれる場所で 幅25m
  東の花場山の麓から西を流れる桧木内川まで
  ここが武家町「内町(ウチマチ)」と商人町「外町(トマチ)」を区分する場所になっている
 *北側に位置する武家町は
  深い木立が覆い 南の商人町は 街並みがびっしり埋めて対照をなしています
  町が造られた当時には 武家屋敷80戸 商家350戸と数えられ
  秋田藩の支藩として最も大きな城下町を形成していました
 *以来390年余 町の形は大きく変わっていませんし 特に内町という武家町は
  道路の幅から曲がり角一つまで そのまま残っています
  まさに角館は歴史の生きている町でもあります

  

    <写真左:安藤醸造元  写真右:蔵の中には五月人形>

我々三人は、ここから外町地区を歩きます。
中町庁舎観光課を南下し、郵便局を左折し、最初の角を右折し、外町交流広場で休憩。

さらに南下し「安藤家」へ。
「株式会社安藤醸造」
  安藤本店:秋田県仙北市角館町下新町27 0187-53-2008
 *明治15年の大火で焼失し 明治18年に本屋・味噌醤油蔵・文庫蔵を再建し
  明治24年に煉瓦造蔵座敷(仙北市指定文化財)が竣工
  蔵座敷としては東北現存最古であり 煉瓦造り住宅としては秋田県内では三例あるだけ
  内部は西宮礼和画伯が腕をふるった襖絵がめぐらされている
三人で中に入り、お店の方に勧められ「しろだし」を試食。建ちゃんビックリ。この、まろやかさは何、また飲みたくなりました。
いくつかの試食をし、煉瓦造蔵座敷を見学し(無料)、またまた感激。
蔵の中にある座敷も珍しいが、襖絵も凄いし、飾られている五月人形も立派。
蔵座敷を出て来て、また説明を聞き、またお味噌の試食をする。
結果、建ちゃん「イ号味噌」と「しろだし」を購入。家に帰って食べるのが楽しみです。
二人とも同じものを買いました。
安藤家の粋な休憩場所(文庫蔵)で一服する。

安藤家を見て、帰りは田町下丁を戻り、西宮家の大正ロマンを思わせる古き建物を見ながら、郵便局の奥にある「源八」で昼食を取る。
お店の中に入ると、地元の方でいっぱい。カウンターだけが空いていてラッキーです。
お店お勧めの、お弁当をいただく。お店自慢の「胡麻豆腐」は絶品でした。
6品とごはんと味噌汁が付いて、お一人様1,500円。
よくわからない秋田弁の会話を聞き、三人で、あんぐり。
お店の、お母さんに、秋田の竿灯まつり、大曲の花火大会の話。
でも、一番熱が入って説明してくれたのは、やはり地元角館の「秋まつり」(9/7〜9/9)でした。
350年の伝統を誇るお祭りで、華やかな曳山が街を練り歩き、秋田美人が舞、若者たちが山車をぶつけ合う。
この時ばかりは、若者は皆、ここ角館に帰ってくるそうです。

  

    <写真左:西宮家の前の通り  写真右:西宮家の門>

下中町、中町、東勝楽丁、表町下丁で「青柳家」へ。
「青柳家」 秋田県指定文化財(母屋・門・蔵) 入場料500円
 *もともと芦名氏の家臣団の有力な武将でしたが
  芦名氏が絶えた後は佐竹北家(サタケキタケ)に仕えました
  屋敷は広く敷地の入口に薬医・門・道路沿いに
  武者窓と呼ばれるのぞき窓のついた造りになっています
  敷地内の展示館 代々伝えられた武具や美術品などの公開施設になっています
この青柳家の敷地は、3000坪あるようで一番広い敷地であるとの事。
確かに広く、敷地の中に何でも存在している感じである。
それぞれの建物に展示品が沢山あり、当時の偉大さを感じる事もあるが、ここにはあまり似合わない展示品等もあり、あれぇと思うところもある。

  

  <写真左:青柳家の薬医門
   写真右:青柳家小田野直武の像・奥は秋田郷土館>

駐車場に戻り、田沢湖を車の中から、ちょっとだけ見、仙岩トンネルを通り、盛岡インターから花巻南インターで降り、今日の宿へ。
湯の杜「ホテル志戸平」 創業:1830年
  〒025-0244 岩手県花巻市湯口字志戸平27-1  Tel 0198-25-2011
大浴場は、「天河の湯」「日高見の湯」広くてゆったりしていて満足。
夕食は和食会席、朝食はバイキング、品揃いも多く、まあまあ。
良心的な値段で、この内容なら満足。
三人が一番感じた事。
それは、どの担当の従業員でも、とにかく「明るく」「親切」であった事。
本当に、本当に、気持ちよく過ごす事が出来ました。
「有難う御座います」

 

  <写真左:ホテル志戸平の全景  写真右:ありがとうございます>

+ 4月22日(月)

8:25ホテル出発、9:15平泉到着。
本日の、天気:晴れ曇り、気温:2℃〜8℃。

【世界遺産】
<平泉−仏国土を表す建築・庭園・考古学的遺跡群>
  2011年 文化遺産に登録
  構成資産(5資産)
  *中尊寺(金色堂・金色堂覆堂・経堂・境内)
  *毛越寺(毛越寺境内附鎮守社跡・庭園)
  *観自在王宮跡(毛越寺境内附鎮守社跡・庭園)
  *無量光院跡
  *金鶏山
  登録地域176ha 緩衝地帯6008ha

我々三人は、「中尊寺」と「毛越寺」を見学する。
まずは「毛越寺(モウツウジ)」へ。拝観料500円。
町営毛越寺駐車場300円(町営中尊寺第1駐車場または第2を利用すれば100円引き)。
時間が早いせいか、見物客がまばらである。門の前に桜の木が1本だけではあるが7分咲きである。これだけでも嬉しく感じる。記念写真を撮り中へ。

  <写真左:毛越寺の門(出入口)  写真右:正面が毛越寺本堂>

今日、宝物館はお休み(10日間ほど消毒作業をするらしい)。
次は、松尾芭蕉が元禄2年(1689年)に「夏草や 兵どもが 夢の跡」悲運の武将源義経公主従をしのんで詠んだ句碑がある。
次に本堂へ。本堂のお参りの前に、おきよめとお線香で願い事をする。
本堂でお参りを済ませ、大泉ヶ池へ。

  <写真左:大泉ヶ池  写真右:鐘楼堂>

この池を囲むように、南大門跡・開山堂・嘉祥寺跡・講堂跡・金堂円隆寺跡・経楼跡・鐘楼堂・遣水・常行堂・常行堂法華堂跡がある。
大泉ヶ池を中心に浄土庭園が配されていたとあるが、跡地がほとんどで残っているものが少なく残念である。
でも、この大泉ヶ池は、何故か風情がありますね。

  <写真左:中尊寺の入口  写真右:中尊寺月見坂>

車で移動し、駐車場(町営中尊寺第1駐車場)に停め「中尊寺」へ。

「中尊寺」
 *天台宗東北大本山 850年 慈覚大師円仁の開山
  12世紀始め奥州藤原氏初代清衡公が前九年・後三年の合戦で亡くなった命を平等に
  供養し 仏国土を建設するため大伽藍を造営しました
  惜しくも14世紀に堂塔の多くは焼失しましたが
  金色堂始め三千余点の国宝・重要文化財を伝える平安仏教美術の宝庫です

  <写真左:弁慶堂  写真右:奥の細道展>

駐車場からすぐ、幹線道路(国道4号線)の目の前から上り始める。
これは中尊寺の表参道月見坂である。それなりの坂道であり、ぬかるんでいる昨日の雪道では大変難儀なことだなと思う。
八幡堂・弁慶堂・地蔵堂・薬師堂ときて、中尊寺の本堂である。

  <写真左:薬師堂側(裏門)から見る本堂  写真右:中尊寺本堂>

「本堂」
 *中尊寺の根本道場で ご本尊は丈六の釈迦如来
 *藤原四衡公の御月忌・天台宗の祖師忌・法華経一日頓写経会を始めとする
  供養儀式が行われる
このあたりから、人が少しずつ増えて来ている。
本堂の扉が少ししか開いてなく、中にある。お釈迦様が見えにくい。
三人が目を凝らして見るがよく見えない。お釈迦様の手はどうなっているの、三人とも違う本当の事が知りたいですね。

   

     <写真左:大日堂  写真右:大日堂の中>

表参道から本堂に入り、北参道から出る。峯薬師堂・不動堂から大日堂へ。
ここで、幸ちゃんと香ちゃんが願い事をしたためると言う事で、しばしの時間を要す。
お二人さん、何の願い事をしたのやら。

大日堂を出て直ぐ、ちょっとした広場に出る。
右側に鐘楼・阿弥陀堂・弁財天堂、左側に讃衡蔵(サンコウゾウ)・金色堂。
ここまでくると、人・人・人である。
讃衡蔵と金色堂の間の道から、団体さんが続々あがって来る。ちょうどここで我々が上ってきた表参道の人達が、ここに集まる。
当然、金色堂と讃衡蔵を見るために、誰もが世界遺産・平泉・中尊寺・金色堂となる。
我々三人も同じである。讃衡蔵の前で、金色堂と讃衡蔵の共通拝観券を800円で購入。
まずは、金色堂の入口へ。
金色堂の拝観券で、金色堂・経蔵・旧覆堂を見る。
入口に入って直ぐ、記憶にある金色堂が飛び込んでくる。
(建ちゃん40年前に見た記憶なのか、テレビか雑誌からの記憶なのか、定かでない。)
昨日降った雪が残っていて、一段と趣がある金色堂である。
ゆったりとした石畳を上り、金色堂へ。

       

         <写真:中尊寺「金色堂」>

「金色堂」 ・国宝・
 *天治元年(1124年)の造立で 現存する唯一の創建機構です
  ご本尊は阿弥陀如来 脇侍に観音・勢至菩薩
  さらに六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻いています
  堂全体を金箔で覆い 皆金色の極楽浄土を現世に表しています
 *内陣は螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻な調金で荘厳され
  平安仏教美術の最高峰をなしています
 *中央の須弥壇の内に初代清衡公 向って左の壇に二代基衡公
  右の壇に三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が納められています

ふんだんに使った金箔、いまだ衰えない輝き。何百年もの間この輝きを保てるのは凄い事。ただただ感心するのみである。
残念な事が一つ、とにかく見物客が多い。それも団体さん。
金色堂の説明が放送されているが、終わる度に聞いた人は出ていかなければならない雰囲気になっている。もう少し見たいのになあと思っても無理な事。
建ちゃんも、次の最初からの説明を一番見えるところで聞いて出ていく。
でも、幸ちゃんも香ちゃんも出てこない。説明が終わる度に20人程の人が一斉に出てきますが、3回4回見過ごしても出てこない。
先に行ってしまったのかなと心配になり戻って見ると、まだ中にいる事がわかり、建ちゃんベンチに座って待つ。
どうも二人は、ここ金色堂で御朱印帳を買ったらしい。

  <写真左:中尊寺経蔵  写真:金色堂旧覆堂  写真右:旧覆堂の内部>

金色堂のすぐ隣には「経蔵」がある。ここには「中尊寺経」を納めていたお堂である。
現在、中尊寺経は讃衡蔵で収蔵されている。
建ちゃん、待っている時に、あるガイドさんが話していることを聞いてしまう。
この経蔵に納められていた財宝は、豊臣秀吉が持ち去り。現在では、高野山と日光輪王寺と京都・・・にかなりの財宝があるとの事。
「エジプトの遺跡が、英国の大英博物館などにあるのと変わらない」と説明していた。建ちゃん、なるほどと思った。

少し先に、旧覆堂がある。現在では中はがらんとしている。
真ん中に、大きな、大きな塔婆の様な、落建賽塔と書かれたものが置かれています。
昭和61年4月20日<藤原秀衡公・源義経・辨慶 800年忌>に使われたらしい。
本来、金色堂を覆っていたのは、この建物であったが、1963年、鉄筋コンクリートで現在の覆堂を造ったので、その役目を終えた。
「金色堂旧覆堂」(重要文化財)
 ・金色堂建立後50年ほどして覆屋根
 ・室町中期に この形の覆堂になる
 ・新覆堂が建設され この地に移築する

  <写真左:白山神社本殿・能楽殿  写真右:能楽殿(能舞台)>

金色堂の拝観券の出口を出て、釈迦堂を横目で見、ちょっと奥の方に何かあるので行ってみる。
白山神社能楽殿(能舞台)がある。

「白山神社」
 *嘉祥3年(850年)中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請し
  中尊寺の鎮守として白山権現を号された
 *その後 嘉永2年(1849年)白山神社は火災で焼失し
  能舞台は嘉永6年(1853年)伊達藩主(伊達慶邦朝臣)によって再建奉納された
ここ白山神社能舞台に見学に来る人は少ない。
でも、ここはここで、それなりに見る物もあり感じる物もある。
神社としては小さな方ですが、この能舞台を見るだけでも、必見であると思う。
ここでも、お二人さん御朱印をもらうのに時間がかかる。
これはこれで仕方がない事であることは、わかっているのであるが、どんどん時間が押してくるとイライラしてくる建ちゃんである。ついつい小言が出てしまう。

  <写真左:讃衡蔵(宝物殿)  写真右:中尊寺金色堂>

次は、讃衡蔵(宝物殿)である。拝観券を見せて中に入る。何と、人・人・人である。
国宝である、
 中尊寺経(紺紙に金字行・銀字行を一行ずつ交書した清衡公発願の「金銀字交書一切経」
 変化に富む見返し絵が貴重な秀衡公発願の「金字一切経」)
国宝を、見るのも後の方から覗き込むように見るのがやっとでした。
国宝・重要文化財を価値ある展示品が沢山あるのはわかるが、この人の多さに落ち着いて見る気にもなりません。
残念無念。

駐車場に戻るのに、上ってきた月見坂を下るのでなく団体さんが上がってきた道の方が早そうなので、その道を選ぶ。
もっと時間があれば、ゆっくり降りたいところですが仕方がありません。
建ちゃん急ぎ足で先頭で下っていくと、一番後ろを歩く幸ちゃん「そんなに早く歩けませ」と怒っている。
駐車場の前にある土産物売り場でお土産を買い込む。一旦「毛越寺」に戻って御朱印をいただいてから、前沢へ。

       

         <写真:平泉・中尊寺東物見からの眺望>

今日の昼食は、前沢牛。
オガタ総本店「味心」
  岩手県奥州市前沢区塔ヶ崎102-4  0197-56-7298
注文したのは、
・霜降焼肉定食 2,000円
・石焼サイコロステーキ定食 3,000円
・特製ハンバーグ定食 1,380円
それぞれを三つに分けて、それぞれの味を楽しむ、美味い。
これだけの前沢牛が食べられたら、この価格は仕方がないかなあ。

       

       <写真:石巻・日和山公園(満開の桜)からの眺望>

一般道を通って、一路、石巻へ。
被災した3階建ての門脇小学校を視察し、小学校の近くで花をあげてご冥福をお祈りしました。
近くにある日和山公園(満開の桜)に寄り、石巻駅近くの「白謙(シロケン)」で蒲鉾を購入。
 (株)白謙かまぼこ店  宮城県石巻市立町2-4-29  0225-22-1842
ここも、2年前の大震災の時は大変だったそうです。沢山の支援があって、早期に再開出来たそうです。

この後、三春滝桜のライトアップを見てから戻る予定でしたが、三春観光協会に連絡したところ、昨日の雪でほとんど散ってしまったそうです。
仕方がないので、このまま、神奈川へ。23時頃無事横浜に到着。
プリウス、二日間の走行距離1420q。
本当に、本当に、お疲れ様でした。


*2013年4月22日*

 

 中尊寺「金色堂」


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