≪御巣鷹の尾根・慰霊登山≫

     平成27年5月28日(木)


〈あらすじ〉

去年の8月12日、報道を見ながら、あらためて想う。
日航機の御巣鷹山事故から、来年で30年、節目の年に御巣鷹山へ行こう。

一カ月程前、テレビ報道で御巣鷹山へ行けるようになったとある。
遺族の事を考え邪魔にならない日、それは土日を外すこと、夏休みを外すこと。
なるべく天気のいい日を選ぶ、それは梅雨に入る前。
色々と考えをめぐらせ、できれば5月に行きたい。

あれから30年「御巣鷹の尾根」へ。


≪旅日記≫

+ 5月28日(木)

   曇り 時々 晴れ
     (プリウスにて 往復 832q)

起床5:00、出発5:40。
プリウスで圏央道・関越自動車、本庄児玉IC下車、神流川沿いを走り、上野村へ。
道の駅「上野」でガイドブックをいただき、念のため道順を聞く。
最初に「慰霊の園」によるが、整備中で何人かの人が作業していた。
8月に間に合わせるべき作業していると思い、遠目に写真を数枚撮り、その場を離れる。

  <写真左:聖観世音菩薩  写真右:慰霊の園(整備中)>

国道に戻り、右に「上野村ふれあい館」「産業情報センター」等々、左に「楢原郵便局」。
その郵便局の先を左に入り、5分程走って、13番の道標、浜平温泉しおじの湯の手前を左に入る。ここには「御巣鷹の尾根 16q」とある。
御巣鷹の尾根は国道の入るところから案内があり、最後まできめ細かく表示されていて迷う事はない。

左に曲がり「三岐トンネル」直ぐにくぐる。ここから、いくつのトンネルをくぐったことやら、10か所程あったと思う。古いトンネルでなく、新しいトンネルの様である。
しかし、危険なのは、トンネルの中があまり明るくなく、トンネルの入口や、曲がりくねったトンネル内では、大変見づらい。
明るいところから、急に暗いトンネルの中に入ると、目が慣れるまで少々時間がかかる。
しかし、行く時は対向車0台、帰りは5〜6台だったので、何事もなく良かったです。

30分程走ると、少し広くなったところに着く、トイレもあり、30台程は駐車できそうである。9年前までは、ここから2.2q登ったとの事。
さらにアクセルを踏み込み、御巣鷹の尾根への入口にたどり着く。ここには10台程駐車が出来そうである。駐車場には建ちゃんが乗って来たプリウスの他、軽自動車1台とバイク1台あるだけです。

只今の時刻9時35分。
この駐車場の標高は1359m。御巣鷹の尾根・昇魂之碑のある所の標高は1539m。標高差180m。距離にして約800mである。
登山口の入口に、こんな説明看板がある。
他に、登山者入山記録と杖が常備されている。

  <写真左:登山口入口  写真右:登山道を登る>

それにしても、今までの道路も駐車場も道案内も、整備されている事に感心しました。
登山道を歩く。もちろんなのでしょうか、この後も綺麗に整備されていました。
でも、整備されてはいますが、高低差はあります。早く歩くと息切れします。
最初に驚いた事は「熊よけ 鐘鳴らしてください」でした。建ちゃん、早速持ってきた熊よけ鈴をザックから取り出してつける。

  

     <写真左:安全の鐘  写真右:昇魂之碑>

登り始めて、15分程で山小屋に着き。25分程で昇魂之碑にたどり着きました。
雲は多いですが晴れてきました。たった一人です。
気持ちばかりの花を飾り、お線香にライターで火をつけ、大福などお供物を備え、手を合わせました。
お供物は置いていくわけにはいかないと思いザックに戻し、お供物の代わりに少しばかりのコインを置かせていただきました。

「昇魂之碑」「安全の鐘」等々をデジカメにおさめ、左側から上へ。
上がったところの右側、最初に見たのは、「碑」と書いた大きな石碑。

  <写真左:「碑」石碑  写真右:昇魂之碑広場 奥が御巣鷹山>

 「 碑 」
  1985年8月12日18時56分26秒
  羽田発大阪行 日本航空123便
  JA8119号機 ここに墜落
  524名搭乗
  乗客 505名死亡
  乗員 15名死亡
  乗客 4名生存
  1988年8月遺族これを建立する

そして、上がったところの左側、「遭難者遺品埋設の場所」があり遺品がおさめられている様です。
そのすぐ先に航空安全国際ラリー組織委員会の石碑があり、その上に悲願航空安全と鎮魂の鐘があります。

さらに、もう一段高台に御巣鷹茜観音がある。
その観音像の左側に「520名の精霊の御冥福をお祈りします」、右側に「日本航空機事故 慰霊碑 520人霊を安らかなれ」とあり、520人全員の名が刻まれています。
あまりの多さに言葉が出ません。

その観音さまの左隣に祭壇があり、その一つ一つに遺族の方々のお気持ちを秘史と感じます。
何ともいえない切ない気持ちになり、しばし呆然としていました。

   

     <写真左:祭壇  写真右:御巣鷹茜観音>

さて、この後どうすれば、いいのか、どの様に一人一人手を合わせればいいのか迷っている時に、上の方から、おじさんが下りてきました。
おじさんは、この御巣鷹の尾根を整備清掃している方の様です。
「坂本九さんは どこに居ますか?」と聞きますと、丁寧に教えていただき、御巣鷹の尾根のあらましを教えてくれました。

例えば、
日航機がどの方向から飛んできて墜落したかとか、あのV字にきれた尾根が尾翼でひっかいたところらしい。
8月12日以外には遺族の方もあまり来なくなったとか。今年はどうかな?
今日は午前中にある会社の団体さんが見えるとか。午後には日航の担当者が見えるとか。
生存者の方四人が発見されたところは、スゲノ沢 だと。
機長・副操縦士・航空機関士の三名は、すぐこの上に眠っているとの事。
等々。

*建ちゃん帰ってからネットで調べる。
  (機長:高濱雅巳49歳 副操縦士:佐々木祐39歳 航空機関士:福田博46歳)
  さらに 生存者四名
  (川上慶子 当時12歳   父・母・妹を亡くす)
  (吉崎博子35歳・美紀子8歳 母・長女は生存   父・長男・次女は死亡)
  (落合由美 日航のアシスタントパーサー当日は非番)

大変貴重な話を聞かせていただき、ありがとうございます。
別れて、歩き始める。
昇魂之碑、碑、御巣鷹茜観音、祭壇、
10F 10D 9D 9C 9B 9A 8A 8D 7C 7D 6C 5B 5A 4B 3B 6D 6E 8E 祭壇、昇魂之碑、 6G 7G 6H 4F 5F 5G 4G 2G 1i 2J 2i スゲノ沢 祭壇
一つ一つ、その都度、その都度、墓標に向かって手を合わせる。
10・9付近、7・6付近、1i・2J・スゲノ沢付近、この三ケ所に集中している様子。

その中でも、気になったこと。
 9C : 優しかったパパ
 9A : 機長たち3人
 9D : パパ愛をありがとう
 7D : 九ちゃん地蔵
 8E : ドラえもんと電車のおもちゃ
 1i : 墓標また墓標

  <写真左:1i・2Jの近くにある祭壇  写真右:スゲノ沢>

スゲノ沢に下りてきたとき、このあたりは1iとか2Jとありますが、番号どころではありません。おまりにも多い墓標に唖然とするばかりです。
100近くの墓標がありそうです。
言葉が出ません。この暑さなのに寒気さえ覚えます。
右を見、左を見、上を見、下を見、祭壇を見、そして手を合わせる。

そうこうしていると、先ほどあったおじさんが歩いて来て、「ここがスゲノ沢だよ 生存者四人ともここで発見されたよ 川上慶子さんのご両親はここにいるよ」と教えてくれた。
このスゲノ沢では200人近い人が亡くなったんだよ、とも教えてくれた。
日航機の座席の後ろの方に座っていた方は、ほとんどこのあたりに飛ばされたらしい。
あまりにも広い範囲になっている事にも驚かされる。

あらためて川上さんの墓標を見る。
『一人は万人の為に 万人は一人の為に』とある。
スゲノ沢から、山小屋から最初に見た案内板があるところに戻る。あらためて案内板を見ると、よくわかる。
最初に見た時に理解できたのは、昇魂之碑がある位置だけだった。恥ずかしいですね。

駐車場に戻る途中、遺族の方らしい3人の方が登ってきました「こんにちは」と挨拶だけしました。
そして、埼玉県から来たというバス会社の団体さん45名が息を切らしながら登ってきます。
流石に45名の団体さんは圧巻です。「こんにちは」と挨拶するだけでも大変です。

そうです。
何かひきつけるものが、ここにはある。人間の根幹にかかわる事なのかもしれない。
建ちゃん、ここへ来て良かったと思っている。
でも、もう少し考えてみたい。思いをめぐらせてみた。
本当に大事な事を忘れてはいないか。
もう一度考えてみたい。
今、言える事は、来て良かった事と、30年前出来るだけ早く来るべきだった事。

       

 <写真:日航機が 見える尾根から こちら(御巣鷹の尾根)に向かって飛んできた>

駐車場に戻ると、オートバイはありませんが、バスを含め8台車が停まっています。
すでに時計は12時をまわっています。
建ちゃん帰る準備をしていると、また一台上ってきました。

プリウスを走らせ、国道299号線を左折し、狭い道を40分程掛け十石峠まで行き、また上野村まで戻って来ました。
十石峠は、山が深くせいか、天気悪いせいか、平野部はほとんど見えませんでした。
帰りは、上野村から秩父を通り、圏央道青梅ICから相模原愛川ICまで高速に乗り、17時50分無事帰宅。

最後に、
「クライマーズ・ハイ」「沈まぬ太陽」の本を、もう一度読んでみたくなりました。
8月の広島長崎慰霊旅行中に、「クライマーズ・ハイ」を何度も泣きながら読みました。
「クライマーズ・ハイ」の後、「美ら海 血の海」も半べそ半怒りの中再度読みました。


*2015年5月28日*

 

 御巣鷹 昇魂之碑


********


トップ
 1950建ちゃん旅日記


◇気ままな旅◇

 広島長崎2015年
 〈2015.08.04〉

 沖縄慰霊の日
 〈2015.06.29〉

 御巣鷹の尾根30
 〈2015.05.28〉

 京都紅葉2014年
 〈2014.11.30〉

 水郡線の旅
 〈2014.09.09〉

 新潟群馬18きっぷ
 〈2014.07.29〉

 小江戸「川越」散歩
 〈2014.05.08〉

 日本三大桜
 〈2014.04.15〉

 出雲大社式年遷宮
 〈2013.11.12〉

 屋久島 縄文杉
 〈2013.10.07〉

 伊勢神宮2013年
 〈2013.09.15〉

 角館・平泉へ走る
 〈2013.04.21〉

 松山道後温泉
 〈2012.11.13〉

 知床から稚内の旅
 〈2012.09.17〉

 唐津城・伊万里焼
 〈2012.03.24〉

inserted by FC2 system