≪広島・長崎 あれから70年≫

     平成27年8月4日(火)〜8月10日(月)


〈あらすじ〉

建ちゃん一人旅
8月6日に、広島原爆死没者慰霊式・平和記念式に参加。
8月9日に、長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典に参加。
さらに、神戸(阪神淡路大震災から20年)と、
    広島・安佐南区八木地区(大災害から一年)で手を合わせる。
そして、オヤジの足跡をたどる。
(6泊7日、建ちゃんの慰霊の旅、毎日が猛暑日の連続)


≪旅日記≫

+ 2015年8月4日(火)

5:50起床、6:40出発、藤沢駅からJR。「青春18きっぷ」の始まり。
藤沢、小田原、熱海、島田、浜松、豊橋、大垣、米原、京都。
京都15:43着、稲荷駅へ。

<伏見稲荷大社>
約2時間。大社・奥社・四ツ辻から稲荷山をぐるり(お山巡り)。
千本鳥居は見ごたえあり、参拝者の半分は外国人。
19時頃、京都のホテルへ。

+ 8月5日(水)

京都8:30発、広島まで青春18きっぷ。
9時半頃から約1時間半、神戸三宮。
建ちゃん、震災後三宮に来るのは4度目。

<神戸三宮 東遊園地>

  <写真左:中央に1.17希望の灯り  写真右:1.17希望の灯り>

  <写真左:建物内部に慰霊と復興のモニュメント
   写真右:慰霊と復興のモニュメント>

最初に生田神社にお参りする。メイン通りを歩き「東遊園地」へ。
ここは、毎年1月17日に慰霊行事が行われている。
「阪神淡路大震災慰霊と復興のモニュメント」、「1.17希望の灯り」などがある。
他に、皇后陛下御歌碑や震災で倒れたマリーナ像がある。
明治時代に建てられた懐かしい建物もあり、市民の憩いの場所の様である。
モニュメントの前で、手を合わせ、歩いて駅に戻る。電車で尾道へ。

16時頃から約2時間、尾道。
<尾道市街地と千光寺山展望>
中々の景観です。尾道の街並み、瀬戸内海の島々。そして、新尾道大橋と尾道大橋。
19時過ぎ広島のホテルへ。

+ 8月6日(木)

5:30起床、7:10ホテルを出る。歩く事20分、会場へ。

<平和記念公園>
 平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式)
  開式   8:00
  黙祷   8:15
  平和宣言 8:16
  あいさつ
  閉式   8:45

  <写真左:広島市原爆死没者慰霊式・平和記念式  写真右:会場の中へ>

  <写真左:参加者が大勢います  写真右:関係者が献花しています>

平和大橋を渡ったところから人だらけ、会場内に入れず事前予約が必要で関係者優先。

ロープの外の報道機関が沢山いる近くで参加する。
今年から大きなテントを張ったとの事。
遠くに演台が見え慰霊碑が見える。松井市長も安倍首相もキャロラインさんも確認できた。
参加者は約5万5千人、去年より2〜3割多いとのこと。
厳かに進められたが、安倍首相の挨拶の時は安保法制反対のヤジなどでうるさかった。

 <写真左:元安橋から原爆ドームを見る  写真右:原爆ドーム>

帰りは元安橋を渡り、原爆ドームを見ながらホテルへ戻る。
チェックアウトギリギリの10時にホテルを出、今日のホテルに荷物を預け、電車で呉へ。

11時半頃から約2時間
<呉市街地>
海上自衛隊呉史料館・海上自衛隊呉地方総監部・歴史の見える丘・アレイからすこじま。
あまりの暑さに帰りはバスで駅に戻る。
観光案内の方によると、呉の湾に面したところは、ほとんど海軍だったとの事。

**オヤジは、戦争の話をほとんどしなかった。
  建ちゃんが聞いた中で覚えている事は、オヤジは終戦の時は呉の海軍にいた事。
  終戦後広島に入り原爆投下後の市街地を見る。
  その後オヤジの故郷である長崎で、同じく原爆投下後の市街地を見る。
  終戦後数カ月かかり家に帰り着く。
  長崎にいる兄弟親戚の中には原爆手帳を持っている人が何人かいる。
  オヤジの口から、この時の広島長崎の話は出ていない。
  一言建ちゃんが記憶にあるのは「戦争は全てに理不尽なことばかり」
  という、オヤジの言葉である。

電車に乗り広島で乗り換え、梅林へ。
15時頃から約1時間
<広島安佐南区八木地区>
広島駅から、可部線で北方向へ30分弱で「梅林」駅。
可部線は単線、線路沿いに県道が走る。さらに東側50m程に国道が走る。そこから300〜400mで太田川に出る。この間400〜500mが平らな部分、それ以外は傾斜地。

       

    <写真:可部線「梅林」駅 正面山裾に八木地区があります>

梅林駅から左方向(西側)に細い道を上っていく。最初は、ゆっくり上っていくが、10分も歩くと、かなりの急勾配の道を上る。
その最後の宅地開発されたところが、去年の8月20日の土砂災害で被害を受けた八木地区である。

被害を受けたところは、急勾配で真っ直ぐな道で約150m。歩いていて怖さを感じるくらいの急勾配。さらに、一直線で踊り場もない。コンクリートの路面に、滑り止めの○印がついている。雪が降ったら、歩けないと思う。
その最後の宅地開発以外は、被害は少ないようだ。まだまだ被害を受けて解体してしまった家屋は、空地のままである。一番奥まったところで、何かしらの工事を行っていた。
何とも言葉に表しにくい心境になる。

山の上の上の上、空き地のまま、そっと手を合わせる。
17時頃ホテルに戻り、洗濯をする。

+ 8月7日(金)

広島から小倉、青春18きっぷ。
岩国で途中下車、荷物を預ける。大きな町である広がりを感じる。
一駅乗り西岩国駅(元の岩国駅)へ。駅舎にも歴史あり。
ここ西岩国駅から2q程で、錦帯橋である。もちろん建ちゃんは歩きます。

10時頃から約3時間
<錦帯橋・岩国城>
当初は錦帯橋を見る事が目的でしたが、山の上に見える岩国城を錦帯橋から眺めていて、今日見ないと、もう見る時が無いかもしれないと思い、ロープウェイで上る。
見晴らし最高。でも寂しいか、この山城は現在RC造である。
日本三名橋の一つである錦帯橋は、錦川に架かる五連の木造橋である。延宝元年(1673年)吉川広嘉により創建され、何回か流出再建を繰り返す。
この錦帯橋は見ごたえあり。

西岩国、岩国、下関、小倉へ。
17時過ぎ小倉のホテルへ。
賑やかな町であり、人も車も一杯。駅から続くアーケード街も人が一杯。
老若男女、元気いっぱいで、嬉しくなります。

+ 8月8日(土)

本来であれば、本日は長崎に泊まりたいところであるが、ホテルがとれず佐賀止まり。
よって、今日の日程にはゆとりあり、小倉から佐賀、青春18きっぷ。
15時過ぎ、佐賀のホテルへ。
佐賀城跡を見に行く。

+ 8月9日(日)

佐賀駅8:01発の特急に乗る。
長崎駅のロッカーに荷物を預け、路面電車で「松山町」へ。10時頃到着。
路面電車も満員電車、松山町駅に降りても人・人・人。
何と会場にたどり着く前に動きが停まってしまい立往生。

<平和公園内平和記念像前広場>
 長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典
  被爆者合唱  10:35
  開式     10:40
  黙祷     11:02
  長崎平和宣言 11:03
  平和への誓い 11:13
  来賓挨拶   11:23
  閉式     11:43

 <写真左:満席で会場に入れず  写真右:長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典>

式典が始まった時は、残念ながら入口5m手前であった。スピーカーを通して音は聞こえるが、平和記念像の上の方しか見えない。
廻りの人が話しているのを聞いてみると、今日は例年の3〜4割は参加者が多いとの事。
会場は広島の1/3程度であるが、遺族席が多いが、一般席もあり、空いていれば誰でも座れるらしい。でも、今日は無理。
暑いうえに、立っている皆は、いらだっている。

黙祷が終わり、田上市長の長崎平和宣言が始まる頃には、あまりの暑さに体調を悪くし何人かの人が出ていった。代わりに何人か会場内に入れることになり、建ちゃんも運よく会場内に入る事が出来た。
市長の話は、半分くらい会場内で聞けた。
市長の話の中で、現国会の安保法制に異を唱えた発言をした時は、大きな拍手が起きた。

  <写真左:安倍首相の挨拶  写真右:被爆者代表谷口さんの話>

そして、次の、平和への誓い。被爆者代表谷口さんの話は、あまりにも衝撃的で胸に迫るものを感じました。
夜の報道などで知りましたが、谷口さんは原爆犠牲者として、写真に何回も登場した方でした。あの衝撃的な写真は谷口さんだと知り、再度ビックリです。
弱弱しい物腰、弱弱しい語り。でも、言葉には誰にも負けない強さを感じたのは建ちゃんだけではなかった様です。

安倍首相の挨拶は、大筋静かに終わりました。でも拍手は他の方々よりも、ぜんぜん少なかったです。
式典が終わり、並んで平和記念像の前で祈りを捧げました。

  <写真左:平和記念像  写真右:平和記念像の前で祈りを捧げる>

その後、建ちゃんは浦上天主堂を遠くから眺め、原爆投下の中心地も、平和記念館資料館にもいかず、城山小学校へ足を運びました。
<城山小学校>
長崎市の小学校は、今日は全員登校日で、色々な催しや話があったそうです。
小学校では、爆心地に近い山里小学校が何かと話題が多いようですが、この城山小学校にも、原爆の名残が多々あり(当時のまま残っている校舎の一部など)、今日も朝早くから色々な催しがあったそうです。

さらに、この城山小学校は毎月9日、平和記念式が行われているらしく、今日も769回目の平和記念式が行われたらしい。
生徒二人と立ち話をしましたが、この原爆を当たり前の様にしっかりと受け止め、自分の事として考えている事に、驚きました。

  <写真左:城山小学校正門  写真右:永井坂>

  

     <写真左:少年平和像
      写真中:平和記念館(当時のままの校舎)
      写真右:登録記念物 長崎原爆遺跡(旧城山国民学校校舎)>

建ちゃん長与に電車で移動し、先祖の墓前に墓参りをしました。
16時頃、長崎のホテルへ。
眼鏡橋、思案橋などを散策する。
お土産に、皿うどんと長崎ちゃんぽんを購入。

+ 8月10日(月)

のんびり起き、のんびり出発し、予定のANA666便に乗り、長崎空港13:50発、15:35羽田空港着、18時頃無事帰宅。

 

***寄り道 あれこれ***

<伏見稲荷大社> ・8月4日・
JR稲荷駅 一番鳥居 楼門 本殿 奥宮 千本鳥居(ずっと続く) 奥社奉排所 三ツ辻 新池 四ツ辻 眼力社 御膳谷奉排所 薬力社 稲荷山一ノ峯 二ノ峯 三ノ峯 四ツ辻 三ツ辻 御産場 末社 本殿 外拝殿 楼門 一番鳥居 JR稲荷駅

     

   <写真左:人気観光スポット第一位  写真右:伏見稲荷大社一番鳥居>

  <写真左:御膳谷奉拝所  写真右:一ノ峯(稲荷山山頂)・稲荷上乃社>

   

     <写真左:千本鳥居(1)  写真右:千本鳥居(2)>

約2時間、千本鳥居は圧巻。どこまでも続く鳥居。ほとんどが平成に建てられた鳥居。
表から見ると朱色の鳥居(奉納とだけある)そのもの。裏から見ると奉納者の名前と日付が大きく書かれている。1本1本の鳥居の間隔は狭い(大人が抜けられない処もある)。
鳥居奉納の案内がある。5号で175,000円、6号、7号、8号、9号、10号で1,302,000円。
次々に鳥居奉納者が現れている感じ。

ところどころに、あちこちに、個人の稲荷がある感じ、まるで個人のお墓みたい。
一つ一つの門跡にも、寄贈者の名前が掘られている。流石です。
さらに、ここ伏見稲荷大社は日本国内二年連続、外国人に人気観光スポット第一位。
これも、わかる気がします。流石です。

<神戸三宮 東遊園地> ・8月5日・

<尾道> ・8月5日・
ここ尾道から広島まで1時間半、思うがままに下車する。
駅内の観光案内所で説明を聞きパンフレットをいただく。
アーケード商店街、千光寺山ロープウェイ、展望台、古寺めぐりコースを歩いて戻る。と紹介される。

 

 <写真左:千光寺道  写真右:千光寺からの眺望  正面に新尾道大橋>

 <写真左:千光寺本堂  写真右:尾道商工会議所からの眺め 左が住吉神社>

尾道の街全体を見ながら歩きたかったので、海沿いの道をロープウェイ乗場に向かって歩く。尾道商工会議所まで海岸沿いを歩き、商店街の方向へ進む。
アーケード商店街、山陽本線と踏切、急坂の階段「千光寺道」に興味を抱く。

階段を上る。
坂道写真館、尾道幼稚園、昇福亭、中村憲吉終焉の家。そして、「千光寺」へ。
この千光寺の本堂・鐘撞堂からの眺めは最高。瀬戸内海の「向島」、瀬戸内しまなみ海道の「新尾道大橋・尾道大橋」、海岸線と街並み、絶景である。
「文学のこみち」を歩き千光寺山展望台へ。
千光寺よりさらに高くなった分、見晴らし最高。

ここまで自力で上ってきたので、ロープウェイに乗る事をやめる。
歩いて下る。文学のこみち、猫の細道を歩き、天寧寺三重塔、慈観寺、良神社、ロープウェイ乗場まで下りて来て駅に戻ることにした。
あまりの暑さに、帰りは人が少ないアーケード商店街を歩いてのんびり進む。

<平和記念公園> ・8月6日・

<呉> ・8月6日・
オヤジが終戦を迎えたのが、ここ「呉」の海軍、一度は来たかったところである。
まずは、駅ビルの隣「くれ観光情報プラザ」で説明を聞きパンフレットをいただく。
旧呉海軍は、湾の海岸沿いすべてが旧呉海軍で使っていたそうです。
という事は、オヤジはこの呉の湾の、どこかにいた事になる。

  <写真左:てつのくじら館  写真右:海上自衛隊呉地方総監部>

「てつのくじら館」(海上自衛隊呉史料館)の外に、ゆうしお型潜水艦(あきしお)の本物が展示されている。ゆめタウンから大和ミュージアムに渡る歩道橋の上から眺める。
大和ミュージアムに隣接に呉中央桟橋ターミナルがあり、フェリー乗場になっている。

海上自衛隊呉史料館の奥(西隣)にはパブコック日立(株)呉工場があり、ここは旧呉海軍軍需部あったところ。
堺川に架かる宝橋を渡ると左側(北側)には海上自衛隊呉教育隊(旧呉海兵団)があり、付きあたった正面には入船山公園(旧呉海軍練兵場)がある。

右に曲がり、左に曲がり坂道を上って行き、右に曲がった右角一帯に海上自衛隊呉地方総監部(旧呉鎮守府)がある。土・日であれば、事前に申し込めば中も見学できるらしい。

  <写真左:歴史の見える丘からの眺め(1)  写真右:眺め(2)>

さらに南方向へ道なりに上っていく。上りきったあたりに歩道橋があり、「てくてく浪漫コース」で歴史の見える丘となっている。確かに、ここから見ると呉の街並みが良くわかる。
特に、ドックが上から眺められるジャパンマリンユナイテッド呉事業部(旧呉海軍工府造船部)は圧巻である。
そして、今度は下る事1qちょっと「アレイからすこじま」に出る。

  <写真左:潜水艦  写真右:アレイからすこじまから潜水艦桟橋を見る>

ここからは、海上自衛隊の潜水艦が何隻も見る事が出来る。これほど沢山の潜水艦を一度に見たのは初めてである。
この先に日新製鋼呉製鉄所(旧呉海軍工府製鋼部)がある。
帰りは、バスで呉駅まで戻る。途中、入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)や国立病院呉医療センター(旧呉海軍病院)が、バスの窓越しに見えた。

<広島安佐南区八木地区> ・8月6日・

<錦帯橋 岩国城> ・8月7日・
岩国駅に到着。乗り換え時間は5分程、乗り換えだけなら考えることは無いが、岩徳線はあまりにも本数が少ない。ここ岩国駅からはバスで行くのが一般的らしい。
急ぎ荷物をロッカーに預け、電車に乗り込む。西岩国駅下車、時刻表を確認する。岩国への電車は、11:17か12:48。現在の時刻10時廻ったところ。
西岩国駅は、元岩国駅であったらしい、歴史ある駅舎らしい。現在の岩国駅周辺は大変賑やかである。市街地近くの海岸沿いに、米海軍海兵隊岩国基地や海上自衛隊岩国航空基地、岩国錦帯橋空港があり、それに伴って発展してきた様である。

西岩国駅は無人、人がほとんどいない駅の廻りを見渡すが地図もない。道路標識で、錦帯橋はこっちとあるので歩き出す。確か2q程度のはず、途中何人かの人に道を尋ね、何とか錦帯橋に到着。
当初は錦帯橋だけを見たら戻るつもりでいたので、錦帯橋の入橋券だけを購入して錦帯橋を渡る。

どうしても一度は来てみたかった錦帯橋であったが、本当に来て良かったと思う。
まるで、何百年か昔に戻った様なタイムスリップした様な感じである。

     <写真左:錦帯橋 奥の山上に岩国城  写真右:錦帯橋>

〈錦帯橋〉
錦川に架かる五連の木造橋、延宝元年(1673年)吉川広嘉により創建され、その後何回か流出と再建を繰り返す。今に至る。
建ちゃんも色々な橋を見てきましたが、錦帯橋が一番でしょうね。
日本三名橋の一つであるが、いやいや日本名橋の最高峰であると確信する。。

その錦帯橋を渡りながら、山の上の方に城が見える。何故だか急に見たくなる。
歩いてもいけるが、時間を考えロープウェイでいくことにする。
ロープウェイの乗った乗客の中で単独の切符で乗っていたのは、建ちゃんだけでした。

     

     <写真:岩国城からの眺望 市街地を一望しています>

     <写真左:岩国城  写真右:岩国城から見た錦帯橋>

〈岩国城〉慶長13年(1608年)吉川広家が築城(山城)。現在の城は再建されたもので残念ながらRC造である。
岩国城からの眺めは、絶景です。岩国を一望しています。

     <写真左:旧目加田住宅  写真右:吉川(キッカワ)史料館>

城下の中級武家屋敷(旧目加田家住宅)が残っていたり、暑い中歩いた成果がありました。
帰りは、当時を思いながら街並みを見ながら駅に戻りました。西岩国駅12:48発の電車に乗り岩国駅へ。

<佐賀城跡> ・8月8日・
佐賀駅から南下すること2q半、佐賀城跡を見る。
大隈重信旧宅、武家屋敷の門、循誘小学校周辺、願正寺周辺などを見ながら戻る。

       

         <写真:佐賀城鯱の門>

<平和公園> ・8月9日・

<城山小学校> ・8月9日・

       

         <写真:長崎市街 眼鏡橋>

◇◇◇

:自宅に戻り 建ちゃん想う:
8月6日広島、8月9日長崎、地元での報道など原爆に関連する事の露出度は凄い。
それに反し、関東では、新聞にせよテレビにせよ関連行事にせよ、当日に一つの出来事として報道しているだけで、地元とのあまりのギャップに驚くばかりである。
地元では、当日ばかりでなく、前日・前々日・翌日・翌々日、いつでも、どこでも、お目にかかる。新聞・テレビ・ラジオ・雑誌・広告・宣伝。
そして、いたるところでも催しや行事。露出度が、とにかく凄い。
この差は、どこから生まれるのだろう。一人一人が考えなければいけない事ですよね。


*2015年8月6日*

 

 広島 原爆ドーム


*2015年8月9日*

 

 長崎 平和記念像


********


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 1950建ちゃん旅日記


◇気ままな旅◇

 広島長崎2015年
 〈2015.08.04〉

 沖縄慰霊の日
 〈2015.06.29〉

 御巣鷹の尾根30
 〈2015.05.28〉

 京都紅葉2014年
 〈2014.11.30〉

 水郡線の旅
 〈2014.09.09〉

 新潟群馬18きっぷ
 〈2014.07.29〉

 小江戸「川越」散歩
 〈2014.05.08〉

 日本三大桜
 〈2014.04.15〉

 出雲大社式年遷宮
 〈2013.11.12〉

 屋久島 縄文杉
 〈2013.10.07〉

 伊勢神宮2013年
 〈2013.09.15〉

 角館・平泉へ走る
 〈2013.04.21〉

 松山道後温泉
 〈2012.11.13〉

 知床から稚内の旅
 〈2012.09.17〉

 唐津城・伊万里焼
 〈2012.03.24〉

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