≪ギザの3大ピラミッド  アブ・シンベル神殿
 ルクソール王家の谷(ツタンカーメンの墓)≫

     《 平成25年2月20日(水)〜2月27日(水)》

  + 「 カトちゃんケンちゃん 旅は道連れ 」 第二弾


〈旅行日程表〉

◇阪急交通社◇ : トラピックス
≪エジプト ナイル川クルーズ≫
出発日 2013年2月20日(水)
帰着日 2013年2月27日(水)
集合日時 2013年2月20日(水)18時50分
集合場所 成田国際空港第1旅客ターミナル4F
       南ウイング Kカウンター18〜20番
       阪急交通社 受付カウンター
出発便   エジプト航空0965便
出発時刻 20時50分

<旅行代金>
ツアー代金 196,900円
 (基本旅費189,000円 海外旅行保険・空港使用料等を含む)
*オプション代
 (ルクソール東岸観光8,000円 メンフィス・サッカラ・ダハシュール観光8,000円)
 16,000円別途

<時差>
日本      ±0
エジプト    −7時間00分
日本      ±0

<日程表>
1日目 2月20日(水)
成田国際空港発 20:50 MS-0965 《空路 カイロへ》
                  (所要時間 14時間00分)
                            <機中泊>
2日目 2月21日(木)
カイロ着    03:50    着後 《カイロ市内へ》
                  ホテルにて朝食後
ギザ      08:00 バス    【世界遺産】《ギザの3大ピラミッド》
                  クフ王のピラミッド
                  カフラー王のピラミッド
                  メンカフラー王のピラミッド
                  スフィンクス
                  太陽の船博物館
                  ピラミッド絶景ビューポイントへ
                  途中 パピルスの店へ
                  <約40分>
        12:00       昼食はレストラン
        13:30       ピラミッドパークリゾートへ
        19:30       その後 駅へ
ギザ発     20:30 列車    寝台列車ナイル・エクスプレス(一等個室寝台)
                  《アスワンへ》
                  夕食は車内で
                            <車中泊>
3日目 2月22日(金)
アスワン着   09:30 バス 着後 《アスワン観光》へ
                  切りかけのオベリスク
                  観光後 《アブ・シンベル》へ (約280q)
アブ・シンベル 14:00    着後
                  【世界遺産】アブ・シンベル神殿観光
                  (大神殿 小神殿)
        16:00       観光後 《アスワン》へ (約280q)
アスワン    20:00 船  着後 「ミラージュ」に乗船
                  ナイル川クルーズ
        20:30       夕食は船内にて
                            <船中泊>
4日目 2月23日(土)
アスワン    07:30       《アスワン観光》へ
            船     〜コム・オンボへ向けてクルーズ〜
コム・オンボ  12:45    着後 《コム・オンボ神殿観光》へ
            船     〜エドフへ向けてクルーズ〜
        13:45       昼食は船内にて
エドフ     17:30 馬車 着後 《ホルス神殿観光》へ
            船     〜ルクソールへ向けてクルーズ〜
        19:30       夕食は船内にて
                  夕食後 船内にて「ガラベーヤパーティー」
                            <船中泊>
5日目 2月24日(日)
ルクソール   09:30 バス 着後 【世界遺産】《ルクソール西岸観光》
                  王家の谷(ツタンカーメン王の墓等入場観光)
                  ハトシェプスト女王葬祭殿
                  メムノンの巨像
                  途中 アラバスターのお店へ
        13:30       昼食は船内にて
        14:30       昼食後 《自由行動》
                  OP:『ルクソール東岸観光』
        18:00       乗船
        19:00       夕食は船内にて
                  夕食後 船内にて「ベリーダンスショー」
                             <船中泊>
6日目 2月25日(月)
ルクソール   05:15 バス 朝食後 下船し《空港》へ
ルクソール発  07:45 MS-0655 《空路 カイロ》へ
                  (所要時間:約1時間10分)
カイロ着    08:55       着後
        10:30 バス    【世界遺産】《カイロ市内観光》へ
                  エジプト考古学博物館
        13:30       昼食はケバフ
        15:00       昼食後 《オールドカイロ観光》へ
                  聖セリギウス教会
ギザ      16:30       ホテル到着
        18:00       夕食はモロヘイヤ
        19:30       ホテル到着
                  OP:『ピラミッド 音と光のショー鑑賞
                             <ギザ泊>
7日目 2月26日(火)
ギザ                午前は《自由行動》
                  OP:『メンフィス・サッカラ・ダハシュール観光』
        12:00 バス    《カイロ》へ (約30q)
        14:30       昼食後 《カイロ市内観光》へ
                  ハンハリーリバザール モハメドアリモスク
        18:00       夕食はレストランにて
        19:30       夕食後 《空港》へ
カイロ発    23:20 MS-0964 《空路 帰国の途へ》
                  (所要時間:約11時間40分)
                             <機中泊>
8日目 2月27日(水)
成田国際空港着 18:00       通関後 空港で自由解散

<ホテル>
● カイロ(ギザ)
 PYRAMIDS PARK RESORT
 (ピラミッド パーク リゾート)


《旅日記》

       

         <写真:エジプト「ギザの3大ピラミッド」>
       <左からメンカフラー王・カフラー王・クフ王のピラミッド>

+ 1日目 2月20日(水)

ケンちゃん15:00出発、横浜16:29発成田エクスプレスにて成田国際空港へ。
途中、武蔵小杉にてカトちゃんと合流。

成田17:53着、成田国際空港第一旅客ターミナル4F。
まずは、ケンちゃん5万円をドルに両替(レート96.48円 518ドルと24円のお釣り)。
そして、集合場所である南ウイングKカウンターへ。
4人程並んでいるので二人で順番を待つ。受付をしているのは、阪急交通社の今回のツアーの添乗員、西村由香さんである。
数日前、自宅に電話をいただきツアーの案内や注意点を教えていただいた方である。

今日は、珍しく乗客が少なく1/3程の70人程度だそうです。でも、違う旅行社のカウンターでもエジプトへの案内である。
座席も自由に取る事が出来、一人で三人席を確保出来た。カトちゃんとは通路を挟んで反対席であった。ずっと夜の旅であり、少しは寝られるかも。

我々二人だけは、荷物を預けずゴロゴロと引いて歩く。中に入り、カトちゃんは免税店でタバコを2カートン買う。
エジプト航空は酒類が出ないので、安いウイスキーを買って機内に持ち込む。厳しい航空会社(エジプト航空)の様であるが、無事に通過し機内へ。
離陸すると食事を済ませ、少し経つと薄暗くなった。持ち込んだウイスキーを飲むのに水と氷をもらった。あとは、ひたすら寝る事(実態は2〜3時間程しか寝られませんでしたが)。
飛行機に乗る事、約14時間。

【エジプト】
 正式国名 : エジプト・アラブ共和国
 首都   : カイロ
 面積   : 約100万平方キロメートル(日本の約2.6倍)
 人口   : 8112万人(2011年)
 民族構成 : 主にアラブ人(その他少数ヌビア人 アルメニア人 ギリシャ人など)
 言語   : アラビア語(公用語)
 宗教   : イスラム教スンナ派90% キリスト教(コプト教会)7%など

【エジプトが誇る7つの世界遺産】
 1 メンフィスとその墓地遺産(ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯)
 2 古代都市テーベとその墓地遺跡
 3 アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群
 4 カイロ歴史地区
 5 アブ・メナ
 6 聖カトリーナ修道院地域
 7 ワディ・エル・ヒータン(クジラの谷)

【古代エジプト王朝】
 3000年にわたり繁栄と衰退を繰り返した古代エジプト王朝
 今から5000年も前に興った世界最古の文明発祥の地
 エジプトの人類が移住してきたのは今から約3万年前
 その頃から雨が少なく砂漠化が始まっている
 人々は水を求めナイル川沿岸に定住した
 紀元前3000年頃 上下エジプトが統一されファラオ(王)が統一する一つの国になった
*古王国時代(BC2686年頃〜BC2180年頃)
  古王国時代の最盛期 王の神の化身とされた中央集権化進む
  ほとんどのピラミッドがこの時代に建てられる
*中王国時代(BC2040年頃〜BC1786年頃)
  テーベ(現ルクソール)出身のメンチュヘテブ2世が国土の再統一に成功する
  やがてアジアの放牧民ヒクソスが侵入支配される
*新王国時代(BC1567年頃〜BC1085年頃)
  テーベの豪族がヒクソスを破り国土を回復
  古代エジプトの中でも国力は最高潮に達する
*末期王国時代(BC705年頃〜BC305年頃)
  新王国時代が終わると国土は分裂
  ヌビア・アッシリア・ペルシャなどの支配下に置かれる
  BC332年 マケドニア出身のアレキサンダー大王に征服される


+ 2日目 2月21日(木)

       

         <写真:カイロ空港>

カイロ空港到着は予定より15分程早い、3:35(日本時間 10:35)でした。
建ちゃん、空港内で70ドルをエジプトポンドに両替(1ドルが6.7325ポンド 471.5ポンドを手にする)。1ポンドが約15円である。
諸手続きが終わり、空港の前で待機していたバスに乗り込む。最初に紹介され、まずは驚き、ビックリする。

我々ツアー客が18名。
日本の添乗員である西村さん、エジプトの旅行会社の社員、エジプトの日本語ガイドであるアクラムさん(エジプトにいる間 ずっと案内していただきました)、バスの運転手。
そして、何と警察官(腰に小銃をさげている)が同乗した。
最初から驚くばかりである。
西村さんは成田から成田まで一緒。アクラムさんはエジプトにいる間一緒。
エジプトの旅行会社の社員は、カイロ・ギザにいる間基本的に一緒。バスの運転手さんは、手配された運転者さん。
そして警察官(それぞれの地区の警察官)は、バスの移動する時やバスでの観光は常に乗車し観光地まで一緒に行動していました。
エジプトの治安の度合いが測れます。

外は、当然の如く、まだまだ暗い。
まずは、バスで休憩場所であるホテル(ピラミッド・パーク・リゾート)へ向かう。
アクラムさんが、最初に教えてくれた事、こんにちは(アッサラーム アレイコム)です。
途中、カイロ市街、ギザ市街を通るが、さすがに車も少なく人も少ない。
でも、一つ疑問な事が、信号がほとんどない。

アクラムさん(日本語ガイド)いわく。
エジプトには信号はない。ただ最近になって、主要なところに少し出来たらしい。信号があってもエジプト人は守らいないから作っても無駄だとの事。
また、エジプト人は運転も上手いし、道路を渡る歩行者も上手いとの事。
ただ、車は交差点の前では徐行運転をする。それは、主な交差点の前には道路にコブが出来ていて飛ばせない様になっている。
車の数も大変多いが、事故などほとんどないとの事。

ホテルで朝食を取り、ちょっとだけ休憩(約1時間半)。
ギザのピラミッドの開園は8:00なので、少し前にホテルを出る。
ツアー客の一人がマスクをしようとすると、西村さん「こちらでは マスクをしていると病気を持っている人と思われる」と言われ、エジプトにいる間、誰一人マスクをする人はいませんでした。

ホテルから15分程でピラミッドに到着。
ピラミッドは、ギザの市街地から見える。ビックリ。
砂漠のど真ん中にあると思ったら、何と、市街地から見えるところにある。
限定500名とか書いてあったが、5台目位のバスにいるので大丈夫かなと思うが、どうも、そんな心配はいらないみたい ここでも我先にと車は進む。

さぁー、≪世界遺産≫ギザの3大ピラミッドである。
まずは、クフ王のピラミッドへ(入場料 100ポンド)。
(エジプト考古学博物館で、ミイラを見るのに100ポンド払った以外はツアー料金内)
ここはカメラ持ち込み禁止。仕方なく添乗員さんに預ける。

石棺がある王の部屋に入る事が出来た。込み合うピラミッドの中に入る入口で、色々もめながらも中に入る。
廻りは、当然、石・石・石(何度か頭をぶつける)。
狭いところも多く見物客も多くなかなか進まな。でも、日本人の見物客が多かったので、まだまだ和気あいあいで進んだ。
王の部屋(20畳ほど)と石棺を見て、「これか なるほど!!」と思う。
王の部屋で石棺を見て、同じところを戻るのであるが、沢山の人がいて、当然換気口もなく空気の出入りがない。酸素が少ないなと感じる。何故か早く出たい気がした。

ピラミッドを出たところで、カメラを西村さんからもらう。

  <写真左:クフ王のピラミッド  写真右:ピラミッドの出入口>

写真を撮りながら、バスに戻ろう。
添乗員さんやガイドさんやガイドブックに、「エジプトの悪質な商売人に注意」とある。

ピラミッドの中に入るまでにもあったが、出てからが酷いし、しつっこい。この後、ずっと、この押し売り(盗人)に悩まされる。
去年いったカンボジアの子供たちや、フィリピンやタイや、イタリアでもフランスでも、色々な人達を見てきたが、ここエジプトが、ケンちゃん(10数カ国)が行った中では、一番酷い気がする。
せっかく、いいものを見させてもらっているのに、残念です。

結局、逃げるようにバスに戻った。
次にバスで向ったのは、三つのピラミッドの絶景ポイントへ。
そこは、ピラミッドの反対側から見るポイント。

       

       <写真:三つのピラミッドの絶景ポイント(反対側)
       左からメンカフラー王・カフラー王・クフ王のピラミッド>

*ギザの三大ピラミッド*
 クフ王のピラミッド(本来の高さ146m 現在は頂上部がなくなり137m 一辺230m)
 カフラー王のピラミッド(高さ143m 一辺215m)
 メンカウラー王のピラミッド(高さ65.5 一辺103m)
  (クフ王の子がカフラー王 クフ王の孫がメンカウラー王)
《それぞれのピラミッドの前には 小さなピラミッドが何基かある それは各王妃》

デジカメが忙しい。でも何故か上手く撮れない。デジカメが悪いのか、ケンちゃんの腕が悪いのか。
次にバスで向ったのは、クフ王とカフラー王のピラミッドの間。ここでもデジカメが忙しい。

    

 <写真左:博物館横から見たクフ王のピラミッド  写真右:太陽の船博物館>

次にバスが向ったのは、クフ王のピラミッドの裏にある「太陽の船博物館」。
(入場料 50ポンド)(次のスフィンクスの入場料は 60ポンド)

この博物館を見学して、バスに戻る途中で事件は起きる。
押し売りの一人が、ケンちゃんのバックの中の財布に手を掛けたとっさに相手の手を掴み財布を取り戻したが、直ぐに不安になり、パスポートを確認する「ある」他の物は「ある」。
でも、でも、無い物がある。カイロ空港で両替したエジプトポンドがない。
どこで、どの様に紛失したか恥ずかしながら記憶がない。自分の責任なので諦めるしかないが、いらだたしい。

こんな気持ちで見た次の「スフィンクス」は、まったく見る余裕はありませんでした。近寄って来る人、全てを疑っていました。残念なことですが・・・。

そして、また、忌まわしい事が、ここスフィンクスでも起こってしまいました。
ツアーの仲間が、スフィンクスをバックに写真を撮ってあげましょうと言うエジプト人にカメラを渡したところ、撮ってもらってのはいいがカメラが戻らず。
仕方なくカメラを取り戻すのに1万円払ったとの事。

被害にあった仲間がバスに戻った時の顔は、怒りに満ちていました。
何とも、何ともである。
あまりにも安全な日本という国に住んでいる為に、世界の危険さが、わからないのかもしれない日本人は・・・。
あらためて、ケンちゃんは感じる。
「自分の事は、自分で守る。それ以外ない」
「でも、酷いね。 汚いね。 この人達は・・。 この国は・・ 」

       

       <写真:スフィンクス
       後ろにメンカフラー王(左)・カフラー王のピラミッド(右)>

バスでホテルへ戻る途中、パピルスの店に寄る。いい物はわかる気がするが、まだ旅行が始まったばかり、買おうとは思わない。
昼食にレストランに寄るが、まったく記憶にない。ホテル「ピラミッド・パーク・リゾート」に戻り。シャワー休憩になる(約4時間)。

18:15集合、ホテルを出て、バスで「ギザ」駅へ。
バスの中から見る景色、人は多いし車も多い活気がある。車の運転は荒い、でも上手いね。すれすれに運転する。駅も人があふれている。

  <写真左:ギザの市街地  写真右:寝台列車ナイル・エクスプレス>

寝台列車ナイル・エクスプレス(一等個室寝台)、ギザ20:30発、アスワン9:30着、予定。
アスワンに9時到着予定であるが、11時までに着けば最高、午後になる事もある。
万が一、到着が大幅に遅れた場合、アブ・シンベルにいけない可能性があると乗車する前から脅かされる。

ギザ駅のホームで待っている時、カトちゃんがホームに入ってくる列車を、カシャと写真を撮る。
すると、近くにいたエジプト人(軍人か)が怒ってきた。
アクラムさんに助っ人を頼むと、これは軍用車だから写真を撮ってはいけないとの事。何とか平謝りで許してもらう。
ここエジプトでは、カメラを向けてはいけない事が多い。例えば女の人など、注意しなければと思う。

20時少し前、順調に寝台列車がホームに入って来る。カトちゃんとケンちゃんは、5号車の13・14番である。
バスの中の抽選で決まる。5号車と6号車の揺れが違うらしい。
5号車と6号車どちらの方が、揺れが酷いのかはわからない。
荷物を持って二人で入るには、あまりにも狭すぎる。起きている間は、通路とのドアを開けていた。開けていたのは我々だけみたい。

夕食を済ませコーヒーを飲みに行き寝る事に。二段ベッドの上が建ちゃん下がカトちゃん。しばらくするとカトちゃんはスヤスヤ。
寝酒にウイスキーを少し飲み、ケンちゃんも24時過ぎに横になる。
ケンちゃん、あぁ地震か? いやいやエジプトは地震がないはず、あまりの揺れに目を覚ます。
時計を見ると、1時少し前。まだ、1時間も寝ていない。
でも、寝なければと思うが、なかなか寝られず横になっているだけである。
昨日は、飛行機の中であまり寝むれず、今日は寝られると思っていたのに・・。
そうこうしていると、洗面所の扉が大きな揺れが来ると開いてしまう。その度にバタバタする。その度に、その扉を閉めなければならない。あーあ・・・。

『2/21建ちゃんの体感気温 10℃〜25℃』


+ 3日目 2月22日(金)

寝台列車は、何故か各駅停車。乗客が乗り降りするわけではない。もっとわからないのは、駅でもないのに停車する。
単線なのか、荷物でも降ろしているのか、とにかくわからない。

廻りが明るくなってきた。見えてきた景色に唖然とする。
こうこうと流れる、「ナイル川」。ゆるやかで雄大。これは、凄い。
ナイル川の東側に、この列車が走る線路。
またナイル川の両岸に緑、ところどころに家。
その奥は、右も左も「砂漠」である。見渡す限り「砂漠」である。

10:30、アスワン駅に到着。
予定より遅れての到着であるが、西村さんもアクラムさんも喜んでいる。
午後到着は、しばしばあるらしい。到着が午後になってしまうと大変困るらしい。
(明日のことですが、クルーズ船「ミラージュ1号」の船内から、12時頃、走っている寝台列車を見かける。)
よかった。よかった。

  <写真左:アスワン駅のホーム・寝台列車  写真右:アスワンハイダムの上>

11時頃、駅前で待っていたバスに乗り込む。乗っているメンバーを紹介します。
我々ツアー客、18名(30代50代60代の夫婦連れ5組・新婚さん1組・学生さん男1人・学生さん女1人・キャリア女性2人顔見知り・カトちゃんとケンちゃん)。
西村さん(日本の添乗員)、アクラムさん(エジプトの日本語ガイド)、警察官1名、バスの運転手2名(アブ・シンベルは遠距離運転になる為)。

昼食用の弁当を積み込んで、バスはスタート。
まず向うのは、アスワンハイダム(入場料 20ポンド)。
アスワン市街から、郊外へ、郊外へ。はるかかなたに街並みを見下ろすところにダムがある。
エジプトの国家施設が、廻りに一杯ある。ここの景色も、雄大である。
アスワンハイダムの上流に、ナセル湖(琵琶湖の7.5倍)がある。
ゆっくりと、ゆっくりと流れるナイル川を止めるのも、もったいない気もする。

       

         <写真:ナイル川>

【ナイル川】
 長さ : 6695q (世界一 2番目はアマゾン川6516q)測り方に色々あるみたい
 源流 : ビクトリア湖(タンザニア・ウガンダ・ケニア)=白ナイル川と
      タナ湖(エチオピア)=青ナイル川と言われる
      白ナイル川と青ナイル川はスーダンのハルツームで合流し
      ナイル川になってエジプトへ
 水源   : ビクトリア湖に流れ入る川の一つ ルヴィロンザ川(ブルンジ)
 水源標高 : 1134m
 河口   : 地中海
 接する国 : タンザニア・ブルンジ・ルワンダ・ウガンダ・コンゴ・南スーダン
        ・ケニア・エチオピア・スーダン・エジプト

**エジプトはナイル川の贈物**

ここから始まります。アブ・シンベルのバスの旅。約280q(約3時間)。
ひたすら走ります(エジプトの車は100q/h以上出せない様に規制されているとの事)。
右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても、砂漠・砂漠・砂漠である。
アフリカ大陸の砂漠では「サハラ砂漠」が有名ですが、エジプトは、ヌビア砂漠(南)・シャルキーヤ砂漠(東)・リビア砂漠(西)です。
ここの砂漠は「ヌビア砂漠」です。

アブ・シンベルまで残り30分もかからないところで、十字路がある。砂漠のど真ん中、もちろん信号はなし。今までは、北から南へ向かって走っていたが、バスは左折し東へ向かう。
真直ぐ南へ向かうとスーダンの国境まで50q程のところであり、右は西の方向でシリアであり、その遠く先にアルジェリアである。

  <写真左:どこまで走っても砂漠のみ  写真右:十字路近くにあった検問所>

≪世界遺産≫アブ・シンベル神殿 (入場料 80ポンド) 14:50着。
今日は、2月22日。
10月22日と合わせ、年に2回、東向きに建てられている、神殿の奥の至聖室の神像に入口から光(朝日)が差し込むという神秘的な設計になっている。

*大神殿内の至聖所*
 右から太陽の神ラー・ホルアクティ、ラムセス2世、王の守護神アメン・ラー、宇宙の創造神のブタハの4体の像がある。ブタハにだけは光はあたらない。この神が来世の神だからといわれている。
そのために本日は、アスワンの市長さんが、朝早くから、ここアブ・シンベル神殿を訪れ見学され、式典に参加されたとの事。
残念なことに、その時間、我々は寝台列車に乗っていました。

我々がアブ・シンベル神殿に着いた時には、すでに太陽は西に傾いていました。ただ、テレビカメラが廻っていました。

  <写真左:大神殿にテレビカメラ
   写真右:アブ・シンベル神殿(正面左)とナセル湖>

アクラムさんの話ですと、日本のテレビ局の依頼でエジプトの会社が撮影しているとの事でした。

アブ・シンベル神殿は、ナセル湖のほとりに建つ、1813年半分以上砂に埋まった状態で発見される。
この神殿はアスワンハイダムの建設により水没の危機にさらされるが、ユネスコの協力により、もとの位置より60m上にそっくり移動する事に成功する。

 <写真左:アブ・シンベル神殿の大神殿(左側)  写真右:大神殿(右側)>

大神殿は、新王国時代にラムセス2世によって建造された岩窟神殿(ガンクツシンデン)。入口に高さ20mにもおよぶラムセス2世像は圧倒される。
小神殿は、ラムセス2世が愛する妻ネフェルタリのために建てられた。大小の神殿を見学し、16:30の待ち合わせ場所に向う。

       

         <写真左:アブ・シンベル神殿の大神殿>

       

         <写真右:アブ・シンベル神殿の小神殿>

初めて公衆トイレを使用し、入口に立っている男性に1ポンド手渡す。
喉が渇いたので、ノンアルコールビールを25ポンドで買って飲む。
また、売り子が我々の方を見て「ヤマモトヤマ」というのには、ビックリ。

アブ・シンベルを出て、途中、砂漠の中に沈む夕日を見る。さらに、何処を見ても砂漠しか見えない道路を果てしなく北上し、アスワンへ。

       

         <写真:砂漠の中に沈む夕日>

*アスワン*
 緑と砂漠の調和した美しい町。アスワンは花崗岩の産地で、ギザにあるピラミッドの石もここから産出された。

20:00少し前、ナイル川に浮かぶ、クルーズ船「ミラージュ1号」に乗船する。部屋は209号室。
本日の夕食は船内にて、カトちゃんとケンちゃんの二人、夕食後、外出しようと思い船外へ。
でも、出て早々危険を感じ諦めました。西村さんにも、散々止められました。
道路に一歩出て途端に声をかけてくる、どこかに連れて行こうする。
今回のツアーでは、単独行動は出来ないと諦める。

『2/22建ちゃんの体感気温 12℃〜32℃』


+ 4日目 2月23日(土)

起床6:00、朝食6:30、集合7:30、久しぶりに、ゆっくり寝られて、すっきりした朝です。
クルーズ船「ミラージュ1号」は、まったく揺れず地上のホテルと変わらない快適さです。
船内での食事は、ビュッフェスタイルで、自分で好きなものを選んで食べられる。
ケンちゃん、ちゅうちょなく食べられたのは。、オレンジジュース、スープ、魚料理でした。まったく食べられないものは少なかったので、その点では助かりました。
ただ、ビール(ステラかサッカラ)は7ドルと高く、日本の2倍以上です。でも、飲める時は必ず飲んでいました。
さらに、赤ワイン(オマルハイヤーム)のボトルをキープし、少しずつ飲んでいました。赤ワインは20ドルです。これも少し高めです。

  <写真左:未完のオベリスク  写真右:少しずつ石を加工する>

本日の最初の観光は「オベリスク」です(入場料 30ポンド)。
船から降りバスに乗り10分程で着きました。こんなバスの中にも、西村さん、アクラムさん、運転手さん1名と警察官が乗りました。ビックリです。
朝が早いせいかオベリスクを見ている人は少なく、我々ツアーの18名はゆっくりと見学が出来ました。
オベリスクは、この地でのものであるが、色々な国に代表的なオベリスクがあります。イタリアやトルコなどに・・。
明日、カルナック神殿で立派なオベリスクを拝見するが、それは目を見張るものである。
製品としての、横になっている未完のオベリスクだけで、流石です。

帰る間際のバスの中、アクラムさんの紹介もあり、パピルスで出来ている、ヒエログリフをデザインした「しおり」10枚を、ケンちゃん1ドルで購入する。
オベリスクの見学が終わり、ミラージュ1号に戻る。

  <写真左:クルーズ船「ミラージュ1号」  写真右:ミラージュ1号の出入口>

9:00、クルーズ船「ミラージュ1号」の出航です。
いよいよ、クルーズ船の旅の始まりです。ここアスワンから、ルクソールまでの船旅です。
途中、何カ所か港により、一日中航行し、明日の朝ルクソールに到着です。

  <写真左:コム・オンボ神殿  写真右:港の目の前がコム・オンボ神殿>

11:00〜12:45 コム・オンボ 港の目の前の「コム・オンボ神殿」へ。
(入場料 30ポンド) 船から歩いて行き見学する。
ワニの神とハヤブサの神の2隻構造神殿で珍しいとの事。世界最古のカレンダーは、ナイル川の氾濫と共に作られたとの事。
見学が終わり、ちょっと時間があったので、戻って写真を撮りたいと話すと、西村さんも、アクラムさんも、珍しく許してくれた。ここは、まあまあ安全なのかも。
学生さんの女の子と、カトちゃんとケンちゃんと三人で別行動をとる。みんなとは別のルートで、船に戻る。

クルーズ船は、コム・オンボ神殿を離れ、エドフを目指す。

  <写真左:ナイル川とクルーズ船「ミラージュ1号」
   写真右:ミラージュ1号のサンデッキ>

17:00〜19:00、エドフ、馬車に乗って「ホルス神殿」へ(入場料 50ポンド)。

馬車に乗っている時間、片道20分程度。
馬車に二人ずつ乗り、10台の馬車で行く。馬車代は既に払ってあるので、戻ってきて降りる時に一人2ドルずつ4ドル払ってもらいたい。
同じところに行くのだから、順序よく行くのかなと思いきや、ばらばらである。
カトちゃんとケンちゃんが乗った馬車は、9番目の馬車に乗ったのに、神殿に着いた時は驚いた事に1番目でした。
何と途中から、前の馬車とは違う道を走り、飛ばしに飛ばして行きました。早く着いた事の自慢をしている感じでした。
当然の如く、乗っている時も降りる時もチップを要求してきました。払うわけにはいきません。
10台の馬車が着いた時間は、バラバラでした。それぞれの馬車とも、色々あったみたい。

  <写真左:10台の馬車の内の1台  写真右:ホルス神殿第2塔門>

夕闇の中での、ホルス神殿観光です。ハヤブサの神ホルスに捧げたエジプト最大の神殿。
入る時は、まだ明るかったのですが、出てきたときには真っ暗でした。
この神殿は、まあまあ昔のまま残っていて保存状態いい感じがしました。また、ひとつひとつが大きい気がしました。ライトアップされた神殿も、大変印象的なものでした。

船まで帰るのも馬車です。同じ人の馬車に乗りました。帰りは、みんなと同じ道を行きました。
帰りは行く時よりも、執拗にチップを要求してきました。それも一人20ドルそれから10ドルに変わる。払った途端に馬車から降ろされちゃうから、船着き場まで頑張るしかありません。
度合いがわからないので、降りるまで心配でした。
これも、いい経験なのかなと思うが、しなくてもいい経験なのかなと思う。
もっと上手くやってくれれば、日本人は協力してあげられるのにと思う。
何はともあれ、予定通りに馬車を降りる事が出来た。無事、ミラージュ1号に乗船。

  

    <写真左:ホルス神像  写真右:ライトアップされたホルス神殿>

今日は一日、クルーズを楽しみました。
ひたすら、船のサンデッキにいて、景色を眺めたり、写真を撮ったり、うとうとしたり、こんな時間があってもいいのかなとつくづく思う。
それにしても、天気がいい。天気がよくても、常に埃っぽい。
エジプトは、一年中ほとんど雨が降らないとの事。

サンデッキで二人でのんびりしていると、西村さんがやってきて「他の皆さんは全員ガラベーヤを買いました。是非お二人さんもガラベーヤを着てパーティーに参加してください」
仕方なく、カトちゃんもケンちゃんも20ドルでガラベーヤを購入。

  

  <写真左:ゲーム(1)
   写真中:ゲーム(2)  写真右:ガラベーヤを着て記念撮影>

20:00夕食後、「ガラベーヤパーティー」へ。
他の国の人達も参加していて、40〜50人のパーティーである。でも、ガラベーヤを着ているのは我々だけである。あれぇー。
でも、それぞれのガラベーヤ皆さん似合っていました。ここまでくれば仕方がない、楽しむしかないよね。
ゲーム・踊り・飲み・写真などなど、お疲れ様でした。

『2/23建ちゃんの体感気温 12℃〜28℃』


+ 5日目 2月24日(日)

3:00過ぎ、船はエスナの水門を通過、運河と同じ方式で。
残念ながら、ケンちゃん、2時頃に寝てしまい見る事が出来ませんでした。
見た方の話によりますと、船に迫って来る水門の壁は圧巻だったそうです。

クルーズ船「ミラージュ1号」は、明るくなる前にルクソールに無事到着。

*ルクソール*
 かつてこのルクソールの都は「テーベ」という名で呼ばれ
 中王国時代から新王国時代にかけて首都として栄えた
 歴代のファラオが埋葬された王家の谷や壮大な神殿は当時の栄華がうかがえる
 カイロと並ぶ世界的な国際観光地である

起床6:30、朝食7:00、集合8:00、最初にビックリしたのは、岸まで出るのに5隻もの他の船のデッキを歩きながら出ました。あれぇー。
バスで「王家の谷」へ向かう。バスの中には我々18人と、西村さん・アクラムさん・運転手さん・警察官の4人。途中、大渋滞に出くわす。

  <写真左:ガソリンを入れる為に並ぶ車(右側通行)
   写真右:GSで大渋滞>

ガソリンを入れる為に、ガソリンスタンド(GS)に並ぶ車である。GSは十字路の左角(当然に信号なし)にある、四方からGSに向う車で一杯。交番もあるが、皆殺気だっていて何やらもめている。
右側通行のエジプトであるので、日本の慣習からいけば、左側のGSの奥の方へ一列に並んで順番を待つ。
2車線あるので、渋滞はしても車は流れる。ましてや我々が乗っているバスは、GSの反対側に車線があり、流れないわけがない。
ところがである、右側通行もお構いなし、GSに用がある車は、反対車線にはみ出しても、少しでもGSに近いところに並ぶ。GSに用がない車まで、その渋滞にはまってしまう。
そんな車の渋滞で、GSに用のない我々の車も渋滞にはまってしまった。

いつになったら、ここから出られることやら、困ったものです。
流石に見かねたのか、バスに乗っていた警察官が降りていって、地元の警察官と話し、バスが通れるスペースを確保してくれた。
やっとこさバスが前に進んだ、この間約20分待ちぼうけである。これから益々、ここは大渋滞が続くのだろう。
でも、流石でしたバスに乗っていた警察官「ご苦労様です そして有難う御座います」。
それにしても、ナイル川に架かる橋がほとんど無い。かなりの距離を走って橋を渡る事になる。町中には橋を見かけない。

王家の谷駐車場(ビジターセンター)手前に、早稲田大学の調査隊の建物がある。
日本人の吉村先生が、ここを拠点にエジプト遺跡の調査研究をしている。有名な日本人であるが、ここエジプトでは、あまりマスコミにはでないらしい。

  <写真左:「王家の谷」の出入口  写真右:王家の谷駐車場>

王家の谷駐車場にバスは停まる。
「王家の谷」の中では、撮影禁止なので、バスの中にデジカメを置いて行く。

≪世界遺産≫ルクソール西岸へ。
王家の谷(入場料 80ポンド)、ツタンカーメン(特別入場料 100ポンド)。
遺跡保護の為、ビジターセンターから電気バス(トラム)で移動し、入口でチケットを見せて中へ。

新王国時代に造られた岩窟墓
「王家の谷」は、第18王朝トトメス1世にはじまり新王国時代の歴代ファラオが埋葬されている。ファラオたちは、墓荒らしの盗難を逃れるため深い谷を掘り下げて墓を建てた。
トゥトアンクアムン(ツタンカーメン)をはじめ、ラムセル6世、セティ1世、トトメス3世のものなど、現在では約60基発見されている。

王家の谷で公開されている墓の中で、ツタンカーメンと、ラムセス3世と、ラムセス9世の墓を見学する。
ツタンカーメンは、18歳の若さで亡くなったそうです。目立った業績もないツタンカーメンが、有名になっているのは不思議な事の一つだそうです。
ツタンカーメンの墓は階段を降り、下降通路を通り前室へ。前室の左前に副室があり、前室につながった右奥に玄室ある。玄室の右側に宝物室、玄室の棺にはツタンカーメンのミイラが安置されています。
全体的にこじんまりとまとまっていて小さく感じた。
明日の、エジプト考古学博物館のツタンカーメンの見学が楽しみ。
「王家の谷」の壁画には、保存状態がよく、色鮮やかに残っているものもあります。特にラムセス9世の壁画は色鮮やかでした。

*王の墓を飾る壁画*
 古代エジプトは 来世においても現世と同じ生活が出来ると考えていた
 肉体の衰えをおそれミイラを作り 生活に必要なものを埋葬した
 墓内にあるレリーフや壁画に生活の様子がうかがえる
 その代表が「王家の谷」 シャンポリオン(ヒエログリフの解読者)が命名する
 新王国時代のファラオのほとんどが ここ「王家の谷」に眠っている

            

         <写真:CDと一緒に入っていた壁画の写真>

ケンちゃんは、ここ「王家の谷」に感動をお覚え、感激している自分がいる事を感じています。
「王家の谷」のCDが売っていたので、ケンちゃん10ドルで購入しました。
直ぐ様、西村さん「阪急交通社で保証するものではありません」とコメントする。
帰国後、CDを見るが映らず、西村さんの心配があたってしまいました。
覚悟していたので、悔しさは、あまりありません。

       

         <写真:お店の前で遺跡調査が行われています>

バスは、アラバスター(光を通す大理石)のお店へ。
ケンちゃん自分へのお土産(石の飾り物)を10ドルで購入。

お店の道路反対側では、盛んに遺跡調査が行われています。
まだまだ未解明の物が多く、これからも遺跡調査は続くとの事です。

       

         <写真:ハトシェプストの山の反対側は王家の谷>

ハトシェプト女王葬祭殿(ハトシェプトはエジプト初の女王)(入場料 30ポンド)。
山の反対側が、王家の谷。山越えであるが、歩いてもいける。
岸壁の傾斜を利用して造られた3階建ての葬祭殿で、古代エジプト建築の傑作のひとつ。

駐車場の横の入口からテラスまで200mあるが、歩いてもいいしトラムに乗ってもいい。ここには、エジプトカイロの学生さんが沢山見学に来ていた。
日本人女性に興味があるらしい。日本の「おしん」が、ヒットしているとの事。我々ツアーの女性軍も、あっちこっちでつかまっていた。

  <写真左:ハトシェプスト女王葬祭殿  写真右:葬祭殿の壁画>

まだまだ、この周辺では「古代都市テーベと墓地遺跡」として、王妃の谷、貴族の墓、テルエルババリ神殿、ラムセス3世葬祭殿、トトメス4世葬祭殿、等々。いたるところに存在するが見ている時間がありません。

       

         <写真:メムノンの巨像>

船に戻る途中、「メムノンの巨像」で写真タイム。
そして、アクラムさん「最近ルクソールの西岸では、気球で大空から遺跡を見下ろすツアーが人気になっている。ただし、ちょっとばかり高額です」と紹介していた。
確かに、離れているところに気球が見えていた。バスは、あの大渋滞を考慮し帰りは急遽ボートで帰りました。
何とバスではあんなに遠回りをしたのに、ナイル川の反対岸に船が停泊していました。ラッキー。思わず、みんなでハイタッチです。
船は、岸から二隻目になっていました。

  <写真左:急遽乗ったボート(手前)奥はクルーズ船
   写真右:ナイル川の西岸側>

*ナイル川の東岸と西岸*
 夕日の沈むナイル川の西岸は「ネクロポリス(死者の町)テーベ」と呼ばれ
 中王国時代以降 墓所造りが盛んになっていった
 ファラオたちは盗掘を防ぐため奥深い谷に安眠の地を築いたのだ
 また 日の登る東岸は「生者の町」と呼ばれ
 町としての機能はこちらに側に集まっている
 確かに 南部のナイル川のほとんどは 建物は東岸に建っている
 ここルクソールも 東岸に駅や市場などの生活の場があり賑やかな町となっている

船内で昼食を取り、午後はオプションで「ルクソール東岸観光」へ。
このオプションには18名全員が参加です。オプション代は8,000円。
他にオプションは、「ピラミッド音と光のショー観賞」7,000円、「メンフィス・サッカラ・ダハシュール観光」8,000円があります。
カトちゃんとケンちゃんは、ルクソールとメンフィスに参加する事にし、既に成田空港で支払い済です。

   

  <写真左:カルナック神殿・スフィンクス参道第1塔門へ  写真右:お犬様>

早速、バスで移動し、「カルナック神殿」へ。15:20着(入場料 65ポンド)。
まず思う事は、とにかくビックであること。入口に入り第1塔門までにも、それなりに歩かなければならない。
スフィンクスの参道通り、第1塔門、ここはアメン大神殿の最初の門;
カルナック神殿は、アメン大神殿・メンチュ神殿・ムート神殿からなる。そのアメン大神殿だけでも30ha程ある。

第1塔門を入ると、お犬様が、堂々とお昼寝である。これまたビック。
第2塔門の前にある。ラムセス2世の巨像も、これまたビック。
第2塔門と第3塔門の間は、大列柱のオンパレードである。
大きな、大きな134本の柱が立ち並ぶ光景は、圧巻。

       

         <写真:第2塔門から列柱へと続く>

       

         <写真:134本ある列柱のほんの一部>

そして、第3塔門の先の、トゥトモセ1世のオベリスクや、ハトシェプスト女王のオベリスクも、同様に圧巻である。
ハトシェプト女王のオベリスクには、「父親に捧げたオベリスクは金箔に出来ないので残念」とヒエログリフで書かれていたのを、アクラムさんが読んでくれて説明してくれた。
すろと、皆、ヒエログリフに興味ありあり。

       

         <写真:ハトシェプスト女王のオベリスク>

さらに、第7塔門方向に右に折れると、聖なる池に出る。
その聖なる池の前には、ハトシェプスト女王の倒れたオベリスクが横になっておかれている。この大きさだけでも凄い。

その横には「スカラベ」(ふんころがし)があり、反時計回り7回廻ると願い事がかなうと言われている。
ケンちゃんも挑戦する。そして、廻る、廻る・・・(本当に 願い事がかなうと いいな)。

  <写真左:オベリスクが横になっている  写真右:スカラベを7回廻る>

これだけでもアメン大神殿の半分以下、他は廻れず時間もないが体力もない。集合時間に間に合わない急がなくては。

バスで移動し、「ルクソール神殿」へ 16:50着(入場料 50ポンド)。
このルクソール神殿は、カルナック・アメン大神殿の付属施設として建てられ、かつてはスフィンクスが両側に並び3q程ある参道で結ばれていた。
現在、その参道の一部修理が行われている。かつての様に結ばれたら凄いね。
第1塔門に、オベリスクが1本だけある。かつては左右に2本あったが、右側の1本は現在パリのコンコルド広場に建っている。

  <写真左:ラムセス2世の中庭(右側の通路奥が第1塔門)
   写真右:第1塔門への通路(左側)とモスク>

第1塔門を入ると、すぐ左側には現在も使われているモスクがある。
この広場はラムセス2世の中庭。もう一つ奥の広場がアメンホテプ3世の中庭。

 <写真左:壁画の色が残っている  写真右:アメンホテブ3世の中庭>

さらに、壁にはレリーフや象形文字などが刻まれている。どの神殿などの壁にも色々なレリーフなどが残っているが、ここに残っているものの中には色が残っているものもあり、見所が多い。
日が傾き始めてきました。今日の夕日は、ルクソール神殿になりました。

  <写真左:ライトアップされたルクソール神殿(オベリスクは1本だけ)
   写真右:今日の夕日はルクソール神殿>

この頃の、みんなの会話、売り子の「ワンダラ・ワンダラ」が、口癖になっています。
何処へ行って、どの売り込みも「ワンダラ・ワンダラ」と売り込んできます。1ドルなら安い日本人なら興味を示してくると思っているのでしょう。
我々ツアー仲間も馬鹿ではありませ。売り子にどの様に対処すれば、いやな思いをしなくて済むかと肌で感じて来ている。
エジプトに来て、最初のギザの三大ピラミッドの売り子が一番酷かったと思う。少し慣れた後から、ピラミッドのところへ行ったら、もっと上手く対処出来たかもしれないと思う。
でも、ちょっとでも気を抜くと付け込んできますよ。
いい人の方が多いと思うのですが、生活があるとはいえ残念ですね。
でも、この「ワンダラ・ワンダラ」は、みんな、何かある度に冗談で言うようになっていました。不思議ですね。

18時過ぎ船に戻り、三日目の慣れた船での夕食をとりました。
毎度の事でありますが、特に食事を取った後、サンデッキに集まって来る仲間がいます。
それは、今回のツアーで4人の方々がタバコを吸います。同じ喫煙と言う仲間です(ツアー客18名中、4名が喫煙するのは、多いのか? 少ないのか?)。
でも、不思議なもので、この旅が始まった頃から、必ず同じような時間帯に顔を合わせる為、早い内から会話が弾んでいました。
その一人がケンちゃんの相棒カトちゃんです。ついつい、その仲間に入る機会が増えるケンちゃんでもあります。

今日のイベントは「ベリーダンスショー」スマーフダンスちょっと見応えがありました。
ダンス見学後、明日の出発が早いのでミラージュ1号の清算を行う。レストランやバーの飲み代など106ドル(カトちゃん30ドル ケンちゃん76ドル)と、乗船中の全てのチップ二人で15ドルを支払う。
そして、ケンちゃん、ラウンジバーでビール25ポンド、ワイン35ポンドで買って、部屋で飲み、早めに就寝。

『2/24建ちゃんの体感気温 12℃〜29℃』

 

【世界四大文明】
  *エジプト文明    <ナイル川>
  *メソポタミア文明  <チグリス・ユーフラテス川>
  *インダス文明    <インダス川>
  *黄河文明      <黄河>

【世界六大文明】
  四大文明プラス
  *メソアメリカ文明
  *アンデス文明

◎世界で認めている文明は二つ
  ≪エジプト文明≫と≪メソポタミア文明≫だそうです


+ 6日目 2月25日(月)

起床4:45、朝食:5:15、荷物:5:45、集合:6:15。
昨日あたりから、食事をしている時の、ケンちゃんに対するサービスがいい。
きっと、一杯飲んで、一杯払ったからだろうね。
楽しかったです。有難う御座いました。

ルクソール空港へ。ルクソール発7:45(MS-0655)に乗車、カイロ空港8:55に到着。
カイロ空港では、バスが待っていました。バスに乗っているのは、我々ツアー客18人と、西村さんはじめ5人である。

  <写真左:エジプト考古学博物館正面入口
   写真右:博物館入口の事務所にカメラを預ける>

今日の観光は、≪世界遺産≫カイロ歴史地区。
まずは、「エジプト考古学博物館」へ(入場料 60ポンド)。
館内は撮影禁止、入口で預ける。さらに、館内で説明を聞く為の受信機みたいなものを一人一人かしていただく。
確かに、この受信機がないと、館内は広く見物客も大変多く騒がしくよく聞こえない。これでアクラムさんの話(案内)がよく聞こえる。

博物館は、1階2階があり、部屋数は100以上あり、古代エジプト文明の遺品や美術品が約12万点におよぶ。
その中でも、2階の半分以上にはツタンカーメンの副葬品が展示されている。

          

       <写真:ツタンカーメン黄金のマスク
           (雑誌表紙のコピーです)>

ツタンカーメンの黄金のマスク。
(純金製のマスク、重さが約11sもある。ラビスラズリや、水晶・黒曜石などが使われ、色鮮やか。)
他に、ツタンカーメンの財宝がずらりと並ぶ。これでもか、これでもか、あります。あります。ツタンカーメンの副葬品です。
でも、でも、ケンちゃんは首をかしげます。
昨日見た王家の谷にあるツタンカーメンの墓は、あまり大きくありません。どの様にして、こんなに沢山の財宝が入っていたのだろう? 不思議で仕方がない。
何故、何故、何処に、どの様に入っていたの???

また、1階には、ハトシェプスト女王の像・カフラー王座像・カーアペル立像・クフ王座像・メンカウラー王像・ジョセル王像(4800年前のもので、この博物館最古の展示品)等々が並ぶ。
そうそう、ビックリする事がある。とにかく見物客が多い。圧倒的にツタンカーメンのコーナー。混雑何てものではない。人・人・人である。

でも、ちょっとばかり違うのは、ここにいる人達はエジプト人の中でもハイクラスの方の様な気がした。怖さがありません。
また、それぞれの、お目当ての展示物の前で、絵を描いている学生さんが大勢いた事にも驚かされた。

          

          <写真:入場券
          博物館(上)・ミイラ(下)>

アクラムさんの説明が終わり、我々は、それぞれ別行動になる。でも当然の如く、100ポンド払ってミイラを見学する。
ミイラ室には、ファラオのミイラが安置されている。ラムセス2世や、ハトシュプスト女王などが眠る。
でも、ケンちゃんは、ミイラ室は寒いし暗い、あまりのリアルさに背筋が寒くなる。
4000年前に引き戻される感じである。とても一人では見ていられない。こんな感覚味わった事がない。
寒い、とっても寒いです。

そんな感覚で、ミイラ室を出る。
最後に、もう一度、ツタンカーメンの黄金のマスクを見てから、館内を出る。
陽射しがまぶしい。

  <写真左:クーデターで真っ黒になったビル
   写真右:左が黒いビル 右がエジプト考古学博物館>

エジプト考古学博物館の西隣に建っている高層ビル。何と、火事でもあったのか外装が真っ黒で使われていない。
どうも、エジプトの一連のクーデターである。エジプトの傷跡がここにある。
でも、そんな事お構いなし、ここ博物館は賑やかである。約3時間の見学でした。

バスでナイル川沿いのレストランへ。13:20「ONDINE」で昼食。
エジプシャンサラダ、スープ、ペンネトマトソース、シシケバブ(肉)、みかん。
カイロの一つの光景が、ここからうかがえる、いい雰囲気です。

バスの中で、アクラムさんから、Tシャツをいただく。
エジプトのお土産にTシャツ7枚(6枚買うと1枚サービス)を、アクラムさんに頼んでおいたもの(1枚15ドルで90ドルです)。
これを息子と、娘と、娘の旦那と、孫へのエジプト土産にします。
Tシャツの胸には、ヒエログリフ(象形文字)の文字で名前が縫ってあります。喜んでくれるといいな。

  <写真左:アルムモスクの内部  写真右:アルムモスクの中庭>

午後は、オールドカイロへ。 カイロ発祥の地と、狭い路地。

「アムルモスク」へ。入口は男女別、女性は緑のガウンでおおう。
イスラーム寺院、これがガーマ・アムル、641年エジプトを征服したアラブ軍の総司令官アムル・ブン・アル・アースに由来する。
内部は広く大勢の人達が礼拝出来る。寄付歓迎とあるが誰も寄付をしなかった。

   

       <写真左:オールドカイロの狭い路地(1)
        写真中:            (2)
        写真右:            (3)>

「聖セルギウス教会」へ。
祭壇に向って左手奥に地下道があり、エジプトに逃れてきた幼いキリストと聖母マリアが身を隠した場所といわれている。
キリスト教の一派コプト教会。
ケンちゃん、教会の椅子に座りながらアクラムさんの説明を聞いていたら、寝てしまいました。ゴメンナサイ。

「ベン・エズラ・シナゴーク」へ。
8世紀のユダヤ教、モーゼの十戒がヘブライ語で書かれています。ひっそりと落ちついています。
ケンちゃん、何故かあまり印象に残っていません。

ケンちゃん「オールドカイロ」に思う。
狭い路地を歩いている時に、何故か3・4年前に見た映画「アマルフィー」の光景を思い出していた。イタリア南部の街、アマルフィー、一度は行ってみたいなあ。

バスでホテルへ。宿泊ホテル「ピラミッド パーク リゾート」102号室。
16:00着少々休憩。 17:50レストラン「CAIRO」にて夕食。
モロヘイヤのスープ、イカのオジン、エジプシャンサラダ、バクラブ。
8名の方は、ピラミッド音と光のショーへ。カトちゃんケンちゃん等10名はホテルへ戻る。
ホテルへ戻った内の8名は、ゆっくりと飲みながらプールサイドで団欒。21:00少し前、ショーを見た人達が戻ってきた。
それぞれの客室へ。おやすみなさい。

『2/25建ちゃんの体感気温 11℃〜30℃』


+ 7日目 2月26日(火)

起床6:00、朝食6:00〜8:00、荷物7:00、集合8:00。
今日は珍しくゆったりとした朝です。荷物をまとめ30分の違いがこんなにゆとりを感じるものなのか、時間をあまり気にせず朝食をとる。

午前中はオプションで、参加するのは16名です(18名中)。
≪世界遺産≫メンフィス・サッカラ・ダハシュール
最初にアクラムさん「今日の朝は霧ですが こんな日は昼間大変暑くなります」と、霧は1時間程で切れ、アクラムさんの予想通り暑い一日になりそうです。

バスはギザの町を南下すること20分程(約10q)、マリオテーヤ運河沿いのサッカラ街道を走る。左に折れ少し入る。

<写真左:メンフィス・ラムセス2世の巨像  写真右:広場にはスフィンクス像>

「メンフィス博物館」
 メンフィスは古王国時代の首都でブタハ神の聖地
博物館には、ラムセス2世の巨像が横たわっています(像の体調は約15m)。
前の広場の中央には、アラバスター(大理石の一種・雪花石膏)製のスフィンクス像(約10m)がある。
ギザのスフィンクスは顔が一部崩れているが、ここにあるスフィンクスは比較的良好な状態で残っている。

またバスに乗り、サッカラ街道に戻りさらに南下して右折する。緑が切れたところにチケット売り場があり、バスは一時停まる。

  <写真左:赤のピラミッド  写真右:遠くに屈折ピラミッドが見える>

「赤のピラミッド」 (入場料 35ポンド)
ダハシュールにある。赤のピラミッドは、赤っぽい石を使われて入りところから、赤のピラミッドと言われる。断面が二等辺三角形の真正ピラミッドとして、最古のものとして有名。

ここ赤のピラミッドから、遠く離れたところにある「屈折ピラミッド」(約2q)を見る事が出来る。確かに、途中で角度が変わっている事がわかる。
屈折ピラミッドは、下部の傾斜が52度、上部が43度22分だそうです。赤のピラミッドは屈折ピラミッドの失敗を繰り返さない様に、傾斜43度22分だそうです。

またまたバスに乗り、サッカラ街道を少し戻り左折する。ここも、砂漠が切れたあたりにチケット売り場があり、またバスは一時停まる。

  

    <写真左:駐車場から柱廊を抜ける
     写真中:階段ピラミッドをバックに警察官と記念撮影
     写真右:下降坑道を覗く込む>

「階段ピラミッド」 (入場料 60ポンド)
サッカラは、エジプトでのピラミッド建設の第一歩を記したと言われているジョセル王の階段ピラミッドがある事で有名である。
この階段ピラミッドは6重の階段状で、高さ60m、基礎部140m*128mとギザのピラミッドよりは小ぶりである。

まずは、バスが駐車場についてビックリする。今までは人間の売り子がいましたが、ここは犬が何匹もいました。一斉にバスに集まってきて、こちらを見つめます。
でも、何かするわけではありません。静かに見つめるだけです。
あわせてビックリした事が一つ、見学が終わり、我々が駐車場に戻って来る、何と犬達が、我々が乗るバスの前で待っていて我々を見つめていることです。
この犬達、お利口さんだなと思った。

駐車場から歩き、20本程ある柱廊を抜けると、北側に階段ピラミッドのある中庭に出る。
あれ、どうしたの、階段ピラミッドは修理中で周辺に仮設の足場が見え、ちょっとばかり違和感を覚えています。でも、やっぱり、ここでも記念撮影は必要ですよね。
何と、同行している警察官の方と撮りました。ラッキー・ラッキー。

この階段ピラミッドは周壁(東西277m・南北545m)に囲まれ、中庭や南の家等々があり、我々は下降坑道などを上から覗き込む。
ピラミッドは、ジョセフ王が初めて石材を用い、マスタバ墓(長方形の大墓)を6段も重ね、まったく新しい形の墓を作り上げた。
ギザのピラミッドよりも、約100年前の事である。
周壁のさらに外側にある小さな部屋で、埋蔵品を見る。
また、ケンちゃんは採りませんでしたが、何人かの仲間たちが、砂漠の砂を採取していました。

       

       <写真:一人乗りタクシー「トクトク」>

このサッカラ街道周辺には、まだまだ沢山のピラミッドがありますが、予定になく見る事を諦めるしかありません。
また、サッカラ街道周辺の人、家、店。それぞれ、色々な表情を見せています。
特に「トクトク」と呼ばれている一人乗り用のタクシーには、驚かされました。狭い道を走るのには、適しているのかもしれません。

また、この道路沿いにはジュウタンの制作学校が沢山あります。当然我々のツアーもショッピングを兼ねたジュウタンのお店に寄りました。
説明や実技に感心していましたが、ケンちゃんには、あまりにも高額で手が出ません。
でも、いいもモノだなと思っていたら、やっぱり、ツアーの仲間の何人かは購入していました。何気に買えない私は、助かった気がしました。

バスでホテルに一旦戻り、オプションに参加しなかったお二人さんを乗せ昼食会場へ。
13:00「WANGFU」中華料理店で食事を取る。

午後は、まずガラス細工のお店へ行く。エジプトの人気みやげでもある「香水ビン」も置いてある。
カトちゃんもケンちゃんも、まったく興味がなく、外に出て待っていた。

  <写真左:カイロの集合住宅  写真右:モハメド・アリ・モスク>

その後、バスは大渋滞のカイロの市街地を走り、日が傾き始めた「モハメド・アリ・モスク」で、写真だけ撮る。

  <写真左:カイロの市街地(1)  写真右:カイロの市街地(2)>

「ハンハリーリ・バザール」へ
エジプトのお土産が何でも揃う人気の市場。規模も最大級。
沢山の店が並び、迷路のように細い通路に人がひしめいている。ケンちゃんも、お土産にエジプトのチョコを購入する。
ケンちゃん、エジプトに来て、初めて一人で町をぶらつく事が出来た。少しだけ・・。
カイロはビックな都市です。人も、車も、モスクも、建物も、食べ物も、商売も、どれをとっても大きく活気がある。

外は真っ暗、空港に向う前にカイロ郊外のレストラン「KARUN HOTEL」。
《コシャリ(マカロニのトマトソース たまねぎ)、ターメイヤ(そら豆のコロッケ)、フルーツ》まあまあ、いけます。
このあたりは安全かも(歴代の大統領が住んでいる近く)。20:00、カイロ国際空港着。
ここでアクラムさんとお別れです。
「説明も良かったし、おやじギャグも良かった。日本に来たら、是非会いたいですね。本当に有難う御座いました」

搭乗手続きが終わり、搭乗券いただき中へ。ケンちゃん、免税店でビールと安いウイスキーを買いこみ。カトちゃんと一緒に、コーラを飲みながら一服しながら時間調整。
出国審査で、残念な事が一つ。ツアー仲間の何人かが、砂漠の砂を没収される。ペットボトルや瓶の中にいれておいた為である。交渉しても許してもらえなかったらしい。
手荷物検査も全員無事通過、機内へ。ケンちゃん、一番後ろの二人席が空いていたので、そこを確保する。
その席を紹介してくれたのが、女性二人組(ツアーで知り合い、時々一緒に旅行する仲間)、旅行中何かとお世話になり、ありがとうございました。
カイロ発 23:20(MS0964便)、やや早めに出発。所要時間:11時間40分

『2/26建ちゃんの体感気温 12℃〜31℃』


+ 8日目 2月27日(水)

成田国際空港、予定(18:00)より、20分程早く到着。
飛行機の中、なかなか寝られるものではありませんが、とりあえず大きなことは何も無く到着する。
荷物を引きながら移動いていると、いくつものテレビ局の方々がインタビューしている。
どうも、同じ飛行機に、あのルクソールで起きた気球の事故の同じツアーの人達が乗っていたやしい。
何度か、インタビューのマイクを向けられたが「違うツアーです」と断った。
(2/26の昼頃、同じツアーの一人から、日本から携帯電話に連絡があり、ルクソールの事故について、ツアー仲間は、その時点で事故のあった事だけは、知っていました。)

カトちゃんケンちゃんは、荷物を預けていないので、そのまま税関を通過する。
最後に全員の方に挨拶が出来ませんでしたが、西村さんと数人の方には、お世話になった事の挨拶をして別れました。「有難う 御座いました」
空港内の銀行で、68ドル両替する(レート1ドル89.09円)6,058円也。
JRの成田エクスプレスに乗って、帰宅の途へ。
車内で、子供たちをはじめ何人かの人に連絡する「無事 帰国」。
**お疲れ様でした**


*2013年2月21日*

 

 ギザのスフィンクス


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