《あれこれ美濃街道》

  :気ままに歩いた美濃街道の一日、日記と地図を写真入りで紹介します:

+ 東海道宮宿(熱田宿)と中山道垂井宿を結ぶ脇住還。

+ 東海道との追分から金山付近の約3qは、佐屋街道と重なる。

+ 海難の恐れがなく、将軍の上洛や朝鮮通信使などに使われた公用道。

+ 関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が凱旋した道で、「吉例街道」と呼ばれた。

+ わずかな区間に城が多い(名古屋城 清洲城 墨俣一夜城 大垣城)。

+ 地図から見る美濃街道「7」の宿場。〈地図〉


≪美濃街道旅日記≫

歩いた処歩いた日付歩いた処の地図
<美濃路その1>佐屋街道追分から須賀まで2018.10.14〜15〈地図〉
〈ポイント〉
<美濃路その2>須賀から垂井追分まで2019.04.07〜08〈地図〉
〈ポイント〉

             <美濃街道(熱田追分〜垂井追分)の 〈地図〉

≪美濃街道宿場間距離≫

起点〜( 宿)から( 宿)まで宿場間距離起点距離歩いた日
 <東海道>
(0)〈江戸〉
 (41)     〈熱田〉(349.4q)<東海道十六日目>
     〈垂井〉(407.0q)<美濃路その1・その2>
 
 <中山道>
(0)〈江戸〉
 (57)     〈垂井〉〈437.3q〉<中山道二十三日目>
 
 
 ≪美濃街道≫
   0     (熱田)
 0〜1(熱田)〜(名古屋) 5.9q 5.9q<美濃路その1>
 1〜2(名古屋)〜(清須) 7.8q 13.7q<美濃路その1>
 2〜3(清須)〜(稲葉) 5.9q 19.6q<美濃路その1>
 3〜4(稲葉)〜(萩原) 5.9q 25.5q<美濃路その1>
 4〜5(萩原)〜(起) 3.9q 29.4q<美濃路その1>
 5〜6(起)  〜(墨俣) 9.8q 39.2q<美濃路その1・その2>
 6〜7(墨俣)〜(大垣) 7.9q 47.1q<美濃路その2>
 7〜00(大垣)〜(垂井) 10.5q 57.6q<美濃路その2>
  00     (垂井)
 〜終点( 宿)から( 宿)まで宿場間距離起点距離歩いた日

  <美濃街道の総距離(熱田から垂井まで)  57.6q>

美濃街道宿場間距離について

*各距離は、美濃路宿村大概帳(天保14年・1843・幕府調査)によるもので、当時の単位「里」を、現在の単位「q」に変換しました。

*起点距離(東海道熱田から各宿までの距離)は、「里」から「q」に変換し小数点第二位以下を切り捨てて算出しました。

*宿場間距離は、「里」から「q」に変換した数値を基本にするも、起点距離により小数点第一位の数値を調整しました。

 【江戸時代の距離の単位】
  1里=36丁 (≒3.927q)
  1丁=60間 (≒109.088m)
  1間=6尺  (≒1.818m)
     1尺=10寸(≒30.3p)  1寸=10分(≒3.03p)  1分(≒3o)

*美濃街道いい処*

 
 名古屋城


 
 墨俣一夜城


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美濃街道
 (美濃街道の歩み)


東海道
 (東海道の歩み)

日光街道
 (日光街道の歩み)

奥州街道
 (奥州街道の歩み)

甲州街道
 (甲州街道の歩み)

中山道
 (中山道の歩み)


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