《あれこれ日光街道》

  :気ままに歩いた日光街道の一日、日記と地図を写真入りで紹介します:

+ 江戸 日本橋から宇都宮までは奥州街道と重複しています。

+ 江戸幕府として日光は徳川家康の墓がある特別なところ、将軍大名が通う幕府の公道。

+ 日光東照宮をはじめとする世界遺産、豊かな自然と荘厳な建築が魅力。

+ 日光杉並木に囲まれ歩く、そこに流れる空気を肌で感じる。何かが違う。

+ 道中で一番栄えていたのは宇都宮宿(現在栃木県の県庁所在地)。

+ 利根川は難関、唯一橋が無く渡しであった。たもとに栗橋関所があった。

+ 地図から見る日光街道「21」の宿場。〈地図〉


≪日光街道旅日記≫

歩いた処歩いた日付歩いた処の地図
<一日目>日本橋から越ケ谷まで2011.07.02〈地図〉
〈ポイント〉
<二日目>越ケ谷から幸手まで2011.09.10〈地図〉
〈ポイント〉
<三日目>幸手から間々田まで2011.10.01〈地図〉
〈ポイント〉
<四日目>間々田から雀宮まで2011.11.12〈地図〉
〈ポイント〉
<五日目>宇都宮から今市まで2011.12.10〈地図〉
〈ポイント〉
<六日目>今市から日光まで2012.01.07〈地図〉
〈ポイント〉
<七日目>雀宮から宇都宮まで2012.02.04〈地図〉
〈ポイント〉

≪日光街道宿場間距離≫

起点〜( 宿)から( 宿)まで宿場間距離起点距離歩いた日
 0〜1(江戸)〜(千住) 8.7q 8.7q<一日目>
 1〜2(千住)〜(草加) 8.7q 17.4q<一日目>
 2〜3(草加)〜(越ケ谷) 7.0q 24.4q<一日目>
 3〜4(越ケ谷)〜(粕壁) 11.1q 35.5q<二日目>
 4〜5(粕壁)〜(杉戸) 6.2q 41.7q<二日目>
 5〜6(杉戸)〜(幸手) 6.7q 48.4q<二日目>
 6〜7(幸手)〜(栗橋) 8.2q 56.6q<三日目>
 7〜8(栗橋)〜(中田) 0.8q 57.4q<三日目>
 8〜9(中田)〜(古河) 5.3q 62.7q<三日目>
 9〜10(古河)〜(野木) 2.7q 65.4q<三日目>
 10〜11(野木)〜(間々田) 6.9q 72.3q<三日目>
 11〜12(間々田)〜(小山) 6.4q 78.7q<四日目>
 12〜13(小山)〜(新田) 5.2q 83.9q<四日目>
 13〜14(新田)〜(小金井) 3.1q 87.0q<四日目>
 14〜15(小金井)〜(石橋) 5.9q 92.9q<四日目>
 15〜16(石橋)〜(雀宮) 6.5q 99.4q<四日目>
 16〜17(雀宮)〜(宇都宮) 7.9q 107.3q<七日目>
 17〜18(宇都宮)〜(徳次郎) 9.3q 116.6q<五日目>
 18〜19(徳次郎)〜(大沢) 9.4q 126.0q<五日目>
 19〜20(大沢)〜(今市) 7.8q 133.8q<五日目>
 20〜21(今市)〜(鉢石) 7.9q 141.7q<六日目>
  〜終点( 宿)から( 宿)まで宿場間距離起点距離歩いた日

    日光街道(江戸〜鉢石)の総距離  141.7q

日光街道宿場間距離について

*各距離は、日光道中宿村大概帳(天保14年・1843・幕府調査)によるもので、当時の単位「里」を、現在の単位「q」に変換しました。

*起点距離(日本橋から各宿までの距離)は、「里」から「q」に変換し小数点第二位以下を切り捨てて算出しました。

*宿場間距離は、「里」から「q」に変換した数値を基本にするも、起点距離により小数点第一位の数値を調整しました。

 【江戸時代の距離の単位】
  1里=36丁 (≒3.927q)
  1丁=60間 (≒109.088m)
  1間=6尺  (≒1.818m)
     1尺=10寸(≒30.3p)  1寸=10分(≒3.03p)  1分(≒3o)


『日光街道宿場概要へ』


*日光街道いい処*

 
 江戸 日本橋

 
 千住 矢立初めの地

 
 古河宿 ぬた屋本家

 
 小金井一里塚

  
  今市 日光杉並木

 
 日光 二荒山神橋

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東海道
 (東海道の歩み)

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 (日光街道の歩み)

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