<東海道 山科追分から 大坂 高麗橋まで> ◇1950建ちゃん旅日記◇
:気ままに歩いた京街道の一日、日記と地図を写真入りで紹介します:
+ 豊臣秀吉が淀川沿いに文禄堤を整備し京街道となる。
+ 徳川家康が京街道を発展させ、伏見宿・淀宿・枚方宿・守口宿の四宿を設ける。
+ 東海道五十三次と合わせて、東海道五十七次と呼ばれている。
+ 湖都「大津」 古都(京都) 水都「大阪」をつなぐ「水の路」である。
+ 淀川沿いに栄えた街道や全国有数の宿場町には、今でも名所があちこちに残っている。
+ 地図から見る京街道「4」の宿場。〈地図〉
起点〜 | ( 宿)から( 宿)まで | 宿場間距離 | 起点距離 | 歩いた日 |
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<東海道五十三次> | ||||
(0) | 〈江戸〉 | |||
(53) | 〈大津〉 | (483.7q) | <東海道二十二日目> | |
山科追分 | 487.8q | |||
(00) | 〈京〉 | (495.4q) | <東海道二十二日目> | |
<東海道五十七次> | ||||
(0) | (江戸) | |||
(53) | (大津) | (483.7q) | ||
(54) | (伏見) | (500.2q) | ||
(55) | (淀) | (505.7q) | ||
(56) | (枚方) | (518.8q) | ||
(57) | (守口) | (530.6q) | ||
(00) | (大坂) | (538.4q) | ||
≪京街道≫ | ||||
0 | (山科追分) | 0q | ||
0〜1 | (追分)〜(伏見) | 12.4q | 12.4q | <京街道その1> |
1〜2 | (伏見)〜(淀) | 5.5q | 17.9q | <京街道その1> |
2〜3 | (淀)〜(枚方) | 13.1q | 31.0q | <京街道その1・その2> |
3〜4 | (枚方)〜(守口) | 11.8q | 42.8q | <京街道その2> |
4〜00 | (守口)〜(大坂) | 7.8q | 50.6q | <京街道その2> |
〜終点 | ( 宿)から( 宿)まで | 宿場間距離 | 起点距離 | 歩いた日 |
*各距離は、東海道宿村大概帳(天保14年・1843・幕府調査)によるもので、当時の単位「里」を、現在の単位「q」に変換しました。
*起点距離(山科追分から各宿までの距離)は、「里」から「q」に変換し小数点第二位以下を切り捨てて算出しました。
*宿場間距離は、「里」から「q」に変換した数値を基本にするも、起点距離により小数点第一位の数値を調整しました。
【江戸時代の距離の単位】
1里=36丁 (≒3.927q)
1丁=60間 (≒109.088m)
1間=6尺 (≒1.818m)
1尺=10寸(≒30.3p) 1寸=10分(≒3.03p) 1分(≒3o)