《あれこれ京街道》

  :気ままに歩いた京街道の一日、日記と地図を写真入りで紹介します:

+ 豊臣秀吉が淀川沿いに文禄堤を整備し京街道となる。

+ 徳川家康が京街道を発展させ、伏見宿・淀宿・枚方宿・守口宿の四宿を設ける。

+ 東海道五十三次と合わせて、東海道五十七次と呼ばれている。

+ 湖都「大津」 古都(京都) 水都「大阪」をつなぐ「水の路」である。

+ 淀川沿いに栄えた街道や全国有数の宿場町には、今でも名所があちこちに残っている。

+ 地図から見る京街道「4」の宿場。〈地図〉


≪京街道旅日記≫

歩いた処歩いた日付歩いた処の地図
<京街道その1>山科追分から樟葉まで2019.12.08〜09〈地図〉
〈ポイント〉
<京街道その2>樟葉から高麗橋まで2020.02.23〜24〈地図〉
〈ポイント〉

≪京街道宿場間距離≫

起点〜( 宿)から( 宿)まで宿場間距離起点距離歩いた日
 <東海道五十三次>
(0)〈江戸〉
 (53)     〈大津〉(483.7q)<東海道二十二日目>
 山科追分487.8q
 (00)     〈京〉(495.4q)<東海道二十二日目>
 
 <東海道五十七次>
(0)(江戸)
 (53)     (大津)(483.7q)
 (54)     (伏見)(500.2q)
 (55)     (淀)(505.7q)
 (56)     (枚方)(518.8q)
 (57)     (守口)(530.6q)
 (00)     (大坂)(538.4q)
 
 
 
 ≪京街道≫
   0     (山科追分)   0q
 0〜1(追分)〜(伏見) 12.4q 12.4q<京街道その1>
 1〜2(伏見)〜(淀) 5.5q 17.9q<京街道その1>
 2〜3(淀)〜(枚方) 13.1q 31.0q<京街道その1・その2>
 3〜4(枚方)〜(守口) 11.8q 42.8q<京街道その2>
 4〜00(守口)〜(大坂) 7.8q 50.6q<京街道その2>
 〜終点( 宿)から( 宿)まで宿場間距離起点距離歩いた日

  <京街道の総距離(東海道山科追分から大坂高麗橋まで) 50.6q>

京街道宿場間距離について

*各距離は、東海道宿村大概帳(天保14年・1843・幕府調査)によるもので、当時の単位「里」を、現在の単位「q」に変換しました。

*起点距離(山科追分から各宿までの距離)は、「里」から「q」に変換し小数点第二位以下を切り捨てて算出しました。

*宿場間距離は、「里」から「q」に変換した数値を基本にするも、起点距離により小数点第一位の数値を調整しました。

 【江戸時代の距離の単位】
  1里=36丁 (≒3.927q)
  1丁=60間 (≒109.088m)
  1間=6尺  (≒1.818m)
     1尺=10寸(≒30.3p)  1寸=10分(≒3.03p)  1分(≒3o)

*京街道いい処*

 
 伏見宿・寺田屋


 
 枚方宿・鍵屋


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京街道
 (京街道の歩み)


東海道
 (東海道の歩み)

日光街道
 (日光街道の歩み)

奥州街道
 (奥州街道の歩み)

甲州街道
 (甲州街道の歩み)

中山道
 (中山道の歩み)


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