≪地図≫

〈地図〉 牟礼〜妙高高原
(牟礼宿〜古間宿〜柏原宿〜野尻宿〜関川宿・上原宿〜)

 

<地図ポイント案内>

〈地図ポイント案内〉 牟礼〜妙高高原
(牟礼宿〜古間宿〜柏原宿〜野尻宿〜関川宿・上原宿〜)

≪旅日記≫

令和2年6月27日(土) 北国街道その4 一日目(牟礼〜妙高高原)

   ・・曇り 時々 晴れ   (16℃〜22℃)・・

<写真左:牟礼駅  写真中:スタート(牟礼神社入口)  写真右:牟礼宿本陣跡>

   今年に入って、コロナ、コロナの毎日です。
   1月には、中国で騒ぎはじめ、1月末にロックダウン。
   2月には、ダイヤモンドプリンセス号で横浜港が大騒ぎ。
   でも、この時点ではまだまだ他人事な感じ。
   2月末に、北海道と大阪のライブハウスで身近な出来事に変わる。
   3月に入ると、ヨーロッパもアメリカも、あちこちでロックダウン。
   3/2からの学校一斉休校、3/23都知事からのロックダウン発言。
   そして、一番衝撃だったのが3/29の「志村けんさんの死」(70歳)。
   この時点で国民の大多数が、この新型コロナウイルスをおおいに意識しだす。
   緊急事態宣言、4/7〜5/7。
   期間延長で5/25に宣言が解除。
   6/19都道府県の移動が可能になる。

我々の街道歩きも2/23〜24京街道から予定を組んでは延期をし、ようやく今回実施することになる。
6/25(木)皆と相談し、天気予報を考慮、6/28〜29の予定を一日繰り上げで決まる。建ちゃん二日前に町田駅で切符を購入する。
起床4:50、出発5:35、新宿から大宮へ、大宮7:46発の北陸新幹線「かがやき」に乗り込む。
車内で英くんと孝ちゃんに合流する、三人ともマスクをしています、いつものおしゃべりも控え目です。
正くんは、夕方ホテルで合流です。

長野駅で、しなの鉄道北しなの線に乗り換え、9:46牟礼駅に到着です。
最初に、駅構内にある飯綱町観光案内所により資料をいただく。
身支度をし、9時55分、北国街道その4のスタートです。
天気は日差しもあり上々です。梅雨のど真ん中、何とか一日もてばいいのですがと願うばかりです。
今日は古間まで上り坂、その後は上り下りを繰り返しながらの妙高高原駅へ向かいます。

          

            <写真:「役場前」交差点>

前回(2019年10月28日 北国街道その3)終わった、牟礼神社入口へ。
三人とも、歩いている時は、マスクを外すことにしました。

まずは、目の前にある和菓子屋さんに入る。
「名月堂」 信州・花の菓子ごよみ
  長野県上水内郡飯綱町牟礼2724  026-253-2100
  創業 大正15年(1926年)
名月堂の名物「あんバタどら焼き」を食べる、甘くて美味しいです。
200円*3=600円(ジャンケンで孝ちゃん持ち)。

  <写真左:十王坂  写真右:正面(證念寺)突き当りを左に曲がり上る>

100m程先の交差点(役場前)で、早速案内板を眺める。
「北国街道 牟礼宿」案内板と、「北国街道牟禮宿御本陣跡」標柱があります。
交差点の右側には、牟礼郵便局と工事中の飯綱町役場が面しています。
さらに、200m程歩くと、道は突き当ります。
右手前に徳満寺、正面に證念寺を見ながら、左に曲がりながら上っていきます。

本日最初の坂、十王坂です。
その十王坂の案内碑(北国街道牟禮宿 十王坂)を證念寺の山門の前で眺める。
坂の途中の左側に十王堂があります。

5分も上らない内に平らな道になり少し広い道に合流し右に曲がります。
その角に「←北国街道」の案内がありますが逆からの案内だけです。
100m程先を更に右に曲がります。
その角にも「北国街道→」の案内がありますが逆からの案内だけです。
ただ、同じところに中部北陸自然歩道の道標があり、北国街道と同じルートの様です。
まずは、平らな道ですが緩やかな上りの様です。

 <写真左:北国街道小玉地区マップ  写真右:武州加州道中堺碑・真龍院歌碑>

集落の中を5分程歩くと、小さな公園があります。
ここには、武州加州道中堺碑があり説明書きを読むと、この地は江戸(武州)と金沢(加州)の中間にあたり加賀藩が碑をたてたとあります。
そう言えば、牟礼宿は江戸と金沢の中間の宿場だと紹介がありましたね。
この碑の他、真龍院歌碑があったり、飯綱今昔物語の紹介があったり、北国街道小玉地区マップがあります。
そのマップの横に「小玉古道を行く 北国街道小玉地区マップ」の冊子が置いてありましたので、有難くいただきました

          

          <写真:ミニ公園から50m 左の道から来ました>

そのミニ公園から50m程歩くと少し広めの道路に合流します。そこにも「←北国街道」案内がありますが逆からの案内だけです。
でも、ここにも中部北陸自然歩道の道標があり「← 飯綱町役場 0.9q」「↓ 野尻湖公民館 10.8q」とあります。

これから先、野尻湖までは、大変参考になりました。

          

            <写真:「←北国街道」左の道へ>

合流から50m程先左に折れます。そこには「←北国街道」の案内があり迷いやすいところなので助かります。
トンネル(上部に国道18号線)をくぐり、直ぐに仮設の様な階段を上り、右に曲がり跨線橋(下部に北しなの線)を渡り、渡り終えたら、また直ぐに右に曲がります。
この一連の動作には全てに案内があり助かりました。有難いですね。

   

   <写真左:トンネルへ  写真中:階段を上る  写真右:跨線橋の先を右へ>

集落の中、右に玉蓮寺を見ながら、5分程歩くと二股に分かれます。
案内に従い右に曲がります。数軒の家々を過ぎると集落が終わります。

小玉坂なる急坂の始まりです。

  <写真左:小玉坂を上る  写真右:小玉坂からの眺望>

振り返って眺めると、牟礼の町並みは、遥か下の方に見えます。
遠く正面の山肌を見ると、ゴルフ場らしきコースが見えます。
きっと、前回(その3)歩いた長野国際カントリークラブではないかと三人で話し、あのあたりが牟礼駅に向かって下っていった道だと話していました。
かなり上って来ましたが、まだまだ上ります。

とうとう道路の舗装が無くなり土道です。小玉古道とありますが古道にふさわしい道が続きます。
二股から7〜8分程歩くと、またまた二股に分かれます。

  <写真左:新道(左)・古道(右) 右へ   写真右:古道を歩く>

「古道と新道の分岐」説明板があり、江戸時代からある道が右の道(古道)、明治になってから出来た道が左の道(新道)、新道の方が勾配が緩やかで、後でまた交わると説明があります。
当然、右の道、古道を歩く。

     

   <写真左:古道を上る  写真右:最後の古道(残り5m)を上り新道に交わる>

途中、古道と観音平(馬頭観音)を右に見ながら、10分程上ると新道に交わります。
小玉の集落が終わってから急坂が続いていましたが、新道と交わってからは少し緩やかな坂道に変わります。

  <写真左:新道と交わる 古道(中央)を上ってきた
   写真右:小玉一里塚跡>

少し先に、小玉一里塚跡があります。
小玉一里塚から5分程歩くと、またまた二股に分かれます。「←北国街道 ・ 戸草道→」案内に従い左の道に進みます。
二股から7〜8分程歩くと左側に明治天皇御野立所跡があり、「小玉・落影の間女郎花多し」なる説明板もあります。

  <写真左:明治天皇御野立所跡   写真右:「←北国街道 ・ 戸草道→」>

さらに5分程歩くと、明治時代に埋設されたという二等水準点標石(現在水準点としては使用されていない)があり、標高693mとのことです。
牟礼宿の標高が499m、約200m上ったことになります。

ほぼほぼ平らな道を歩いていると、うっそうとした木立の中から、少しずつ開けてきて、落影の集落に入ります。
開けた交差点の角に中部北陸自然歩道の道標があり「← 飯綱町役場 4.2q」「→ 野尻湖公民館 7.5q」とあります。
牟礼の役場前の交差点から4.2q歩いたことになります。とりあえずの上りは頑張りましたね。
この後は、当分の間、上り下りを繰り返すことになります。

               

           <写真:「←北国街道 (落影)」
               中部北陸自然歩道の道標>

「ここは信濃町 落影」の案内を見ながら、10分程歩くと、落影の集落が終わり、国道18号線に合流します。
合流した角に「←北国街道 (落影)」案内があり、落影の説明があります。
落影は古間宿と牟礼宿の間にあり立場(茶屋)であったことと、集落の南側から坂中街道が分岐していた事が紹介されています。
ここの案内も逆からの案内ですが、並んで中部北陸自然歩道の道標があります。

          

          <写真:国道18号線 赤白ポールが見えます>

国道18号線を歩きながら、気がついたことがあります。
道路の車道と歩道の間に、赤白のポールが等間隔にたてられています。
とうとう、我々は、雪国に来たようです。
信号機は、既に歩き始めた牟礼から縦並びでしたね。

国道沿いに7〜8分北上すると左に折れる道があります。そこにも「←北国街道 (小古間)」案内があり国道を左に曲がります。この案内はこちら側から見る案内になっています。
小古間の集落へは下っていきます。集落事態も斜面地にある方のが多いです。
平坦になり集落が終わると二股に分かれています。ここにも「←北国街道 (小古間)」案内がありますが、逆からの案内です。
小古間からは、飯綱山・戸隠山・黒姫山・妙高山の四山が一望できると紹介されていますが、はっきりしない本日の天気では何一つ見えません。残念ですね。

二股を左方向へ進み、200m程歩き小さな川を渡る。
今日も、ナビを一手に任されている孝ちゃん「おかしい、ここで川を渡るわけがない」。
廻りとスマホの地図を眺める「さっきの二股は、左でなく右だ」。
戻ることが最適となり歩いてきた道を戻る。

      

  <写真左:小古間(一旦左へ 戻って右へ)  写真右:可愛い石碑とカエル像>

田園風景を眺めながら5分程歩くと、右側の普通の住宅の前に可愛い石碑があり「やせ蛙まけるな 一茶是にあり」とあり、カエル像と共に紹介されています。楽しませていただいています。
少し先の二股を左に曲がり、小さな川を渡り、坂道を上りながら右側に古間一里塚跡を見る。
上り切ったところで国道を横切り、やや下りながら旧道へ入ると、そこは古間宿です。

古間宿の真ん中あたりに、古間宿本陣跡があり、そこに地図入りの案内看板があります。
「歴史の道北国街道 古間宿」
 古間宿は越後の上杉により開かれ、江戸時代に隣接する柏原宿と合宿となり、月の後半だけ人馬の輸送が行われていた。
 一茶句碑「短夜を古間の人のたくみ哉」等々が紹介されています。

     

     <写真左:「歴史の道北国街道 古間宿」  写真右:第4北国街道踏切>

第4北国街道踏切を渡ります。

「しなの鉄道」 軽井沢駅から始まり妙高高原駅で終わる。
   第1北国街道踏切:小諸宿の約2q先
   第2北国街道踏切:海野宿手前
   第3北国街道踏切:篠ノ井追分の少し先
   第4北国街道踏切:古間宿奥

踏切を渡り突き当りを道なりに左へ、さらに突き当りを道なりに右へ、鳥居川を渡り坂道を上りながら国道に出ます。
国道に出て最初に気がつくのが道路左側のうっそうとした樹木です、諏訪神社です。
神社から見える大きな看板「一茶旧宅駐車場入口」は目立ちます。
「小林一茶旧宅」は国史跡に指定されています。
国道に面したところにあるのは弟さんの建物で、一茶旧宅は少しだけ中に入ったところにあります。
土蔵(2間*3間半)に最後は住んでいたらしく内部を見てビックリです。小さな、小さな窓が一つあるだけです、本当に、ここに住んでいたのかなと驚いてしまいます。

柏原で生まれた一茶は65歳の時(1828年1月5日)に柏原で生涯を終えたそうです。
「門の木 先つつがなし夕涼」と、敷地内に一茶の句碑が紹介されています。
ここ柏原宿周辺に、10句以上の一茶句碑が紹介されています。
一茶は二万句以上の句を詠んだそうです。凄いですね。

  <写真左:小林一茶旧宅  写真右:「一茶終焉之地」碑・弟の建物>

小林一茶旧宅の道路際にある「一茶終焉之地」碑の直ぐ、「信濃町歴史の道案内図」があり、北国街道・飯山道・川東道・戸隠山道が紹介されています。
その奥には大きな柏原物産館があり、道路沿いには一茶句碑があります。
「信濃町役場→」案内が道路の右側にあり、左側には「歴史の道 戸隠山道」の道標と説明があります。

さらに柏原宿本陣跡が右側にあり、さらに、さらに「歴史の道北国街道 柏原宿」の地図入り案内看板があります。
「歴史の道北国街道 柏原宿」
 柏原宿は鳥居川の南にある古間宿と合宿であり、月前半を柏原宿、月後半を古間宿が分担。
 本陣の観国・桂国は俳句をたしなみ一茶と親しく交流した。文政10年(1829年)大火のため一茶の家を含む92軒が焼失。一茶は仮住まいの土蔵で半年ほど暮らしてから亡くなる。
 宿場は復興し再び加賀金沢藩などが宿所する。
 一茶句碑「我宿は 朝霧昼霧夜霧哉」等々が紹介されています。

  <写真左:「村の鍛冶屋」碑  (国道18号線)  写真右:信濃町郵便局>

信濃町郵便局(国道の右側)を過ぎ、明専寺を過ぎ、信濃町の野鍛冶住宅を右に見、信濃町交番の先、国道の左側に「村の鍛冶屋」の碑と説明があります。
大正元年に文部省唱歌に採用され昭和17年に教科書に掲載される、村で作られた唯一の詩と紹介されています。
ただ「村の鍛冶屋」の作詞者・作曲者とも不詳で、色々な変遷がある様です。
でも、日本人なら誰でも一度は聞いた歌ですね。
孝ちゃんが口ずさんでくれて、英くんも建ちゃんも直ぐ思い出しました。何か懐かしくていいですね。
ここにも、一茶句碑があります。

「一茶記念館入口」信号。
左へ進むと、県道36号線で戸隠へ行くようですね。
(もしかしたら、明日、もう一度ここに来るかもしれませんね)

昼食会場を探すべき、左に曲がり歩きだすが、黒姫駅に行くには、かなり坂道を下らなければなりません。
下るということは帰りは上らなければなりません、やめる事にし街道沿いで探すことにする。
交差点から200m程先の左側に黒姫物産センター内の「黒姫そば」で決定。

          

            <写真:黒姫物産センター>

「黒姫物産センター」
  長野県上水内郡信濃町大字柏原175-6 026-255-4514
黒姫そばチケットを購入しセルフサービスで食べる、店内は広いが向かい合わせで座れないように配置されています 我々三人も横並びで食べる。
孝ちゃん、ゆで卵3個を購入。英くんも建ちゃんも1個御馳走になる「ありがとうございます」。
ここの物産センターは、伝統工芸品「信州打刃物」があります。鎌・包丁・ナタ 沢山並ぶと何故だか脅威ですね。

午後の部のスタート、13時55分。
少しゆっくりと休み、野尻湖に向かって歩き出す。
「信濃町IC入口」交差点の近くに廃墟となった建物が見えます。帰ってからネットで調べて見ると「FOREL KUROHIME」ホテルで長い事この状況が続いているそうです。

<写真左:野尻一里塚(国道の両側)
 写真右:「北国街道 野尻湖とその周辺の旧石器時代遺跡の分布」案内看板>

しばらく歩くと道路の両側に塚の様なものが見えてきます野尻一里塚です。
両側の塚とも現存していて、手前が古間一里塚、先に赤川一里塚だと記されています。
ここは「北国街道 野尻一里塚公園」です。
ここには「北国街道 野尻湖とその周辺の旧石器時代遺跡の分布」の案内看板があります。

「国土交通省 長野国道事務所 野尻除雪ステーション」の建物を見なが、 改めてこのあたりは日本有数の豪雪地帯なんだと感じます。
除雪車をテレビでは見た事がありますが、実物を見るのは初めての様な気がします。実物は大きいですね。

          

        <写真:「ナウマンゾウ発掘地」交差点 正面中央の道へ>

「ナウマンゾウ発掘地」の信号で国道18号線から右に折れ博物館へ。秋葉宮の先の道を右に曲がり北国街道から離れます。

「野尻湖ナウマンゾウ博物館」
  長野県上水内郡信濃町野尻287-5 026-258-2090
  開館期間 3月20日〜11月30日
  開館時間 午前9時〜午後5時
  入館料 500円(3人で1500円)  ・ここは建ちゃんのゴチ・

入口で三人ともマスクをかける。
体温も測っていただく(建ちゃんの平熱は36.2℃ですが 歩いている影響か今日は36.4℃)。

          

            <写真:ナウマンゾウ博物館>

〈ようこそ野尻湖ナウマンゾウ博物館へ〉
  1948年湖底でゾウの歯が発見され、1962年から発掘調査が始まる。
  出土した化石や遺物を現地で保存・研究・展示する目的で博物館が設立。
   展示ご案内
   A ナウマンゾウと野尻湖人
   B 野尻湖9万年の歴史
   C 楽しい野尻湖発掘
   D 体験コーナー
発掘調査は誰でも参加でき、既にのべ24,500人の方が参加したそうです。
発掘調査は野尻湖の湖面の高さの変動(約3m)を利用して行うそうです。ビックリですね。

野尻湖を見に行く、入ってはいけないところで見たみたいで、そこの主に注意され戻る。
もう少し、ゆっくり野尻湖を見たい気もしますが、気乗りせず仕方なく旧道に戻ります。

          

            <写真:現在の野尻宿>

防火水槽の配管の高さを見て感心し、野尻宿本陣跡の標柱を見る。
「歴史の道北国街道 野尻宿」
 北国街道は中山道追分宿から越後の出雲崎宿にいたる街道。佐渡の金銀を江戸に運ぶ輸送路にあたり安養寺の境内に御金蔵があった。
 一茶句碑「そば所と人はいふ也赤蜻蛉」等々が紹介されています。
明治天皇野尻御小休所跡を眺め、池尻川を渡り、安養寺・真光寺の入口を右に見ながら進みます。

          

          <写真:野尻トンネル(左) 右の道を降りてきた>

集落が終わり左に廻りながら上り始めます。野尻トンネルの上を歩きトンネルの先で国道18号線に合流します。
しばらく国道沿いを歩くと、「新潟県にようこそ」を道路左側に大きな案内看板があります。
ようやく新潟県だと思うが関川はまだ先だし、ちょっと違う感じ、よく見ると小さい字で「妙高高原2q」とも書いてあります、ということは県境まで残り2qなのかなと思いつつ歩きます。
結局、わからないまま大きな案内看板を通過しました。

少し先に「只今の気温 22℃」表示されています。24〜25℃ある様な気がしますが意外と低いですね。
英くん・孝ちゃんいわく前に見た時も22℃だったよと教えてくれた。ということは今日の最高気温は22℃か肌感覚よりも低いですね。やっぱり標高が高いせいかな。
確かに信濃町に入って標高650mから700m位を上ったり下ったりだし、日差しもほとんどなかったし。

  <写真左:「只今の気温 22℃」先 国道を右へ
   写真右:スノーシェードの中を歩く>

旧道は国道から分かれ右に分かれていきます。
「スノーシェード赤川1号」なるトンネルの中を歩きます。
そして、かなりの急坂を下ります。
100m、200m、そんな長さではありません。
道幅もまあまあ広いのに、通った車は一台だけ、もちろん歩行者は我々だけです。

700〜800m廻りながら下ったでしょうk、途中から小さな集落がある方へ右へ戻るように曲がります。
「ここは信濃町 赤川」10軒もないような集落です。
池尻川を渡り、さっき歩いていた道に合流します。右に曲がり直ぐ北しなの線の下をくぐります。

  <写真左:「新潟県」標識 「一之橋」「関川」  写真右:関川御関所>

線路をくぐり、目の前に見える景色は、何とも言えない安堵の景色でしたね。
「新潟県」標識、その先に「一之橋」、「一級河川 関川」案内、右隣には「関川御関所」、その門構えの先が「長寿橋」で太鼓橋になっています。

  <写真左:関川の上流側(一之橋)  写真右:関川の下流側>

この太鼓橋は趣があります。脳裏に残る橋になりそうです。
関川関所の入口横に「きんさんぎんさん」像があり、長寿橋のことが書かれています。

  <写真左:長寿橋から関所方面  写真右:長寿橋から振り返る(北しなの線)>

「北国街道・関川の関所 道の歴史館」
   新潟県妙高市大字関川272 0255-86-3280
   開館期間 4月10日〜11月30日
   開館時間 午前9時から午後5時
   入館料 500円
 関川関所は、北国街道の信越国堺に設けられた関所で厳しい取り調べの「重き関所」。
 関川関所は、高田藩の口留番所でしたが幕府の重き関所の一つとなり高田藩が管理した。
 関川関所は、「出女」の取り調べが厳しかった。

「心いろづく歴史の館」の中を見学し、復元された番所を見学し、心あらわれて出てくる。

            

              <写真:復元された番所>

関川宿の中心部へ。
道路の向こう側に、浄善寺を眺め右に曲がる。
曲がって直ぐ「加賀藩関川宿本陣跡・明治天皇行在所跡・大石家池泉式庭園」がある。
関川宿の本陣は大石家が務めていて、加賀藩をはじめいくつかの大名が宿泊したとの事。明治天皇も、ここ大石家に宿泊されたとの事。
建物は消失しましたが、当時の庭園が見学出来そうです。でも、時間がありません。

          

            <写真:加賀藩関川宿本陣跡>

少し先には高田藩本陣跡があり ここは上原宿で本陣は豊田家が務めたそうです
建物は昭和の時代に老朽化で取り壊されたそうです。
関川宿と上原宿は、宿場の仕事を交代で務める合宿だそうです。

只今の時間、16時45分。
(妙高高原駅16:47発は無理です、17:29発に乗りましょう。
 本数は1時間に1本位なのですが、ここは短い間隔ですね。)

高田藩本陣跡を後にし、緩やかな上り坂を10分程歩くと、道路左側に大きな樹木が見えてきます。
「天神社の大杉」
  国天然記念物
  樹高 28m
  幹回り 8.7m
  樹齢推定 1200年

何処から見ても目立つ大杉ですね。
これから先も、緩やかな上り坂を進みます。

          

            <写真:県立妙高病院>

交差点手前の左側に、スキー神社、左奥に妙高高原中学。
中学校の反対側(道路右側)に県立妙高病院と、公共施設が目立ちます。

この交差点から、700〜800m先の交差点を右に曲がり妙高高原駅に向かいます。
この交差点を本日のゴールとします。
交差点の右奥(北東角)に火の見櫓と「妙高市消防団 妙高高原方面隊 第5分団」の建物が見えます。

          

            <写真:本日ゴールの交差点>

現在17時12分、残り約500m、下り坂だし10分あれば歩けるでしょう。
体調がいまいちの建ちゃん(持病の左膝)、何とか頑張れそうです。
妙高高原駅17:29発、長野駅18:13着歩いて3分位、今日の宿へ。
「東横イン長野駅善光寺口」にチェックイン、一泊朝食付き6,175円。
既に到着していた、正くんと合流する。

前回(その3)行った店「信州長屋酒場」へ、何と満席。
紹介してもらった目の前の店「四季の献立 今日の饗」も満席。その店の女将さんらしい人に紹介・予約していただき姉妹店へ向かう。
「野饗」(のあえ)
  長野市南千歳868 セピアビルB1F 026-227-3232
飲み物は、生ビールから地酒(大信州・八重原)。
食べ物は、陶板焼き・枝豆・胡瓜一本漬け・冷やしトマト・鰹タタキポン酢・ほっけ焼き・お新香・いぶりがっこ・おやき・ほたるいかおきつけ。
合計29,414円(一人8,000円 お釣りジャンケンで英くんゲット)。
22時半頃、お開き。
建ちゃん飲み過ぎたようで途中から記憶がありません。間違えて遠回りして帰ったようです。
そして、コンビニに寄って、いつものように水・ビール・つまみ等を買ったようです。
 (次の日の明け方、まったく手を付けていない品物がある、勿体無い話です。)
明日の出発時間を決めたと思うのですが建ちゃん記憶にありません。ごめんなさい。
・そして、お疲れさまです・
・さらに、おやすみなさい・


 6/27  牟礼〜妙高高原  (牟礼宿〜古間宿〜柏原宿〜野尻宿〜関川宿・上原宿〜)
        距離:18.1q
        歩数:33,000歩

ところとき
牟礼駅9:55
名月堂10:10〜10:15(休憩)
牟礼神社入口10:15
武州加州道中堺碑10:40
小玉一里塚跡11:05
小古間12:00
古間一里塚跡12:15
古間本陣跡12:25
小林一茶旧宅12:40
黒姫物産センター(黒姫そば)12:55〜13:55(昼食)
野尻一里塚跡14:25
ナウマンゾウ博物館14:50〜15:05(見学)
野尻トンネル15:35
関川の関所16:15〜16:40(見学)
妙高高原駅17:20

 


令和2年6月28日(日) 北国街道その4 二日目(戸隠神社)

   ・・雨 のち 曇り 時々晴れ   (15℃〜25℃)・・

建ちゃん5時頃目を覚ます、外は雨、昨夜コンビニで買った水を飲む。
7時半頃朝食を食べるのに1階に降りるが、弁当が用意してあり部屋で食べるとの事。コーヒーはありません、でも味噌汁があったので一杯いただく。
昨日、今日と、それぞれのコロナ対策が行われています。
身支度を終わらせ、9時少し前レンタカーを借りるため1階へ降りると、英くんがいて今日の集合時間を聞くと、9時半に1階のロビーだとの事。

ホテルの傘を借り、レンタカー店(トヨタレンタリース長野店 026-228-0100)へ。
エコノミーで頼んでおきましたが、少しだけ広めの車で助かりました。
ホテルの駐車場に停め一旦部屋に戻り、9時30分ホテル1階ロビーに全員集合。

今日は、街道歩きは無し。
4人でレンタカーに乗り、戸隠神社を見て廻り、時間があれば川中島か・小布施へ。
夕方レンタカーを返し、長野駅から帰る、こんな予定です。

          

            <写真:善光寺雲上殿からの眺望>

運転手は建ちゃん、助手席にナビ担当の正くん、後ろに席に英くんと孝ちゃん。
ナビを戸隠神社にセットして出発。
当然、最初の話題は、昨日の夜の話、大変遠回りをしてホテルへ戻ったらしい。

車は善光寺の上の道へ。「善光寺 雲上殿」の案内を発見。
急遽雲上殿の駐車場から長野市街地の景色を見ることになる。残念ながら天気が悪く大変見づらいです。
丹波島橋から見えた雲上殿は、次ぐ近くにあることはわかるのですが、肝心な丹波島橋は、まったくわかりません。長野駅もわからず。残念ですね。

七曲がりを上ります。
長い距離の間、雪対策が行われていてビックリです。
まだまだ上ります。

          

            <写真:戸隠神社宝光社>

「戸隠神社 宝光社」へ。
駐車場が工事中で停められる場所がなく、入口のわずかなスペースに停め、正くんが車の中で待ち、3人(英くん・孝ちゃん・建ちゃん)でお詣りすることになる。
鳥居をくぐり、270段の石段を上る、踏面より蹴上の方があるくらいの急階段であります。
その階段の両側にある大木が凄いです、何本もあり高さは30m以上です。

            

             <写真:270段の石段>

石段を上り目の前に荘厳な社殿でお詣りする。社殿の中の彫刻は見事とありますが、写真不可です。
神輿庫の中には立派な神輿が2基入っていました、こんな急な階段で神輿は担がないよね。
帰りは女坂で下りました。
我々は、こんな階段を見ると思い出すのが身延山久遠寺の287段の石段。急な階段だと鈴鹿峠の石段であります。

          

            <写真:戸隠神社中社>

「戸隠神社 中社」へ。
直ぐ横の駐車場(西鳥居の横)に運よく停めることが出来、ラッキーです。
最初に、一旦大鳥居まで下りて「うずら家」で予約名簿に記入しました。
(待ち時間30〜40分)現在の時刻11:20

            

              <写真:中社の参拝作法>

中社に戻り、参拝作法に従い、クルクル廻った後に、お詣りする。
宝光社もそうですが、中社もそうですし、これから行く奥社も、工事中のところが多かったです。
ここ中社の大鳥居周辺も工事中で、中社の大鳥居をくぐることが出来なくて残念です。

            

              <写真:蕎麦処「うずら家」>

信州戸隠山御門前 蕎麦処
「うずら家」
  長野市戸隠3229  026-254-2219
大ざる、天麩羅盛合せ、車海老。
合計9,240円(一人2,000円 不足分ジャンケンで孝ちゃん持ち)。

12時少し前に入店、ざるそばと天麩羅が有名。
お箸入れに、こんな記載があります。
 「一期一会
   諸国修験者山嶽信仰霊験所
   信州戸隠山御門前
   蕎麦処 う ず ら 家
     電話 026-254-2219」

入ってから出るまで気分のいいサービス、もちろん蕎麦も天麩羅も美味い、待った甲斐がありました。
12時40分店を出る、まだまだ待っている人が大勢います(待ち時間60〜70分)。
「うずら家」は長野県有数の人気の蕎麦店です。

            

              <写真:戸隠神社奥社>

<戸隠神社>
  創建は第八代孝元天皇5年(紀元前210年)。
  天手力雄命が奥社の地に鎮まられた。
  康平元年(1058年)宝光社に、さらに30年後中社に分祀奉斎される。
  平安時代は比叡山(延暦寺)高野山(金剛峯寺)と並び「三千防三山」として栄えた。
  当時は「戸隠山勧修院顕光寺」。
  明治時代以降に「戸隠神社」。

戸隠神社の中心部は、ここ中社の様に感じます。
ここ中社の周辺と、宝光社の周辺と、それを結ぶ一帯が「長野市戸隠伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

ゆっくり見たいところですが、車窓と、眺められる範囲だけを眺めて諦めます。

          

            <写真:戸隠神社奥社 大鳥居>

「戸隠神社 奥社」へ。
我々は移動を全て車ですが、当然歩けます、歩くには丸々一日必要です。
  戸隠神社宝光社 標高1050m
  戸隠神社中社 標高1200m
  戸隠神社奥社 標高1350m
ちなみに戸隠山の標高は1904mです。

奥社の入口も工事中で駐車場に入れません、仕方なく少し先の伝統工芸品店へ入り停めさせていただく。
「戸隠竹細工センター」
  長野市戸隠3694  026-254-2947
建ちゃん、何年越しの念願、竹細工の箸入れをゲットする。とっても嬉しいです。
何故だか、みんなも、それぞれ購入しています。

大鳥居の前に奥社までの案内があります。
   「大鳥居から随神門まで、1q、徒歩約15分」。
   「随神門から奥社まで、1q、徒歩約25分」。

          

            <写真:大鳥居から随神門へ>

奥社の大鳥居をくぐる。
随神門まで約1q、平坦な道を歩く、真っ直ぐです。気持ちがいいです。
道の両側を水が流れています(大鳥居に向かって)、信じられないほどの巧みな勾配です。
正くんは、随神門で待ち、3人で奥社まで向かう。

            

              <写真:随神門>

随神門から奥社まで約1q。
最初の約700mは奥社参道杉並木、素晴らしい杉並木です。
日光杉並木もそうでしたが、杉の根っこがむき出しになっていて可哀そうです。
残りの約300mは石段です。それも、だんだんと坂道が厳しくなっていきます。
大勢の方が、参道を歩いていますが、なかなか厳しい道程ですね。
「戸隠神社 奥社」「戸隠神社 九頭龍社」に、お詣りする。

戸隠神社は、お賽銭以外お金がかかりません。

          

          <写真:随神門から奥社へ 最後の石段を上る
                  工事中の社務所が見えてくる>

歩きながら思うこと。
 遠い昔から、こんな高いところで?
 雪の中の、冬の寒さは、いかばかりか?

帰りは、楽しみながら、戻りました。
随神門に座って待っていた正くんも一緒になり、大鳥居まで歩きました。
奥社(御本社)に行けて良かった。戸隠神社にお詣りした気がします。
何かしらの達成感を感じています。

              

          <写真:奥社から奥社参道杉並木の中を随神門へ戻る>

車でコーヒーショップを探すが、ありません。
信濃町へ向かいます、途中霧が深くなりライトを付けても見づらいところがありました。
昨日歩いた「一茶記念館入口」交差点に出る。

「道の駅 しなの」で休憩、店舗内はコロナ対策で店じまいを始めています。
車での販売の、美味しいコーヒーを飲む。
コーヒー4個で1,800円(ジャンケンで建ちゃん1000円・孝ちゃん800円也)。
やっとこさ、今日初めてのコーヒーです。

          

            <写真:岩松院 正面が本堂>

小布施の岩松院へ。
「上信越自動車道 信濃町IC」から乗り信州中野ICで降りる。
ナビに従い岩松院の前の駐車場に到着。
現在の時刻、15時55分。
入館時間が普通ならば17時00分なのですが、コロナ対策で15時30分。
孝ちゃん、急ぎ寺院へ、お願いし入館出来ることになる。

「岩松院」
     ・曹洞宗 梅洞山 岩松院・
   長野県上高井郡小布施雁田615  026-247-5504
   創建 文明4年(1472年)
   入館料500円
  「本堂の天井 鳳凰図」
   葛飾北斎(88歳)最後の作品を1年かけて描く、
   翌年、嘉永2年(1849年)に亡くなる。

170年経っても色褪せてないです、まだ生きています凄いです。
いいものが見られて良かった。
外に出て、境内にある福島正則公霊廟と、一茶が詠んだ一句の舞台になった池を拝見。
一茶一句「痩かえるまけるな 一茶是にあり」。
色々なものが見られましたね。

            

              <写真:福島正則公霊廟>

小布施は「栗と北斎と花のまち」と言われているそうです。
小布施から長野へ。レンタカーを戻す、レンタカー代6,858円(ガソリン代808円を含む)。

前回行った駅前の蕎麦屋さんへ。
そば亭「油や」
   長野市末広1355-5  026-221-2288
   創業 天保4年(1833年)
飲み物は、生ビールから白珠グラス・御園竹大吟醸(武重酒造)。
食べ物は、馬刺し・おくらの天ぷら・みょうが刻み・冷やしトマト・枝豆・奴・刺身こんにゃく。
合計11,270円也 (レンタカーを含め一人5,000円)。
(お釣りジャンケンで正くんゲット 高速代は正くん持ち)
19時頃お開き。
駅ビルで皆さんお土産を購入する、建ちゃんも小布施堂の落雁を2個購入する。
長野駅19:38発の「はくたか」に乗って家路へ。
二日間お疲れさまでした。


 6/28  戸隠神社
        距離:0q
        歩数:0歩

ところとき
戸隠神社参拝10:45〜14:35
岩松院見学15:55〜16:25

歩いた距離一日目 18.1q累計 105.5q
歩いた歩数一日目 33,000歩累計 185,700歩
使った金額二日間 42,000円累計 149,000円

【こんな感じで記入しました】
 *歩いた距離は宿場間の距離
 *歩いた歩数は100歩単位
 *金額は1,000円単位(交通費食事代等全て含まれる)
 *記録の時刻は5分単位


*北国街道旅日記*

北国その1
 (追分〜上田)

北国その2
 (上田〜篠ノ井)

北国その3
 (篠ノ井〜牟礼)

北国その4
 (牟礼〜妙高高原)

北国その5
 (妙高高原〜高田)

北国その6
 (高田〜筒石)

北国その7
 (筒石〜青海)

北国その8
 (青海〜泊)

北国その9
 (泊〜滑川)

北国その10
 (滑川〜高岡)

北国その11
 (高岡〜津幡)

北国その12
 (津幡〜松任)

北国その13
 (松任〜動橋)

北国その14
 (動橋〜金津)

北国その15
 (金津〜府中)

北国その16
 (府中〜柳ヶ瀬)

北国その17
 (柳ヶ瀬〜鳥居本)


北国街道
 (北国街道の歩み)


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